「日」

白川静『常用字解』
「象形。太陽の形。“ひ、太陽、ひかり” の意味に用いる」

[考察]
字源は誰でも分かる。「日」の中に点があるのはどういうわけか。白川は「太陽は丸い形で表すが、中がからっぽの丸い輪ではなく、中身があることを示すために、中に小さな点を加えた」という。ほかに黒点を表すという珍説もある。
月は欠けるという特徴からゲツという音と「月」という図形が発生した。これに倣うと、太陽は欠けることなく常に満ちているから実に似た音と「日」が考案されたと言えなくもない。『白虎通義』には「日の言為(た)るは実なり。常に満ちて節有るなり」とあり、古くから「日は実なり」という語源意識があった。しかし実はdiet、日はnietの音で、語頭子音が違い過ぎる。藤堂明保はこの語源説を否定し、nietは二・弐 ・爾・尼・昵・人・年などと同源で「二つくっつく」という基本義があるとしている(『漢字語源辞典』)。
この説によれば日にも「くっつく」というコアイメージがある。これはなぜか。「くっつく」は空間的・物理的イメージだが、心理的・精神的イメージにも転じる。「くっついて親しむ」というイメージが生まれる。藤堂は「冷たい風に背を向けて、暖かい日光に親しむのは、人間生活の心理である。太陽をnietと称したのは、むしろ肌近く親しむ陽光に対する命名であろう」(上掲書)と述べている。
別の考え方もある。「満ちる」というイメージは一定の空間・範囲の中でいっぱい詰まった状態である。中にあるものは塞がってびっしりと密着した状態になる。だから「満ちる」は「詰まる」「ふさがる」「くっつく」というイメージと連合する。 中身がびっしりとくっついて詰まる・満ちるというイメージが日のイメージとも考えられる。そのコアをなすのは「くっつく」というイメージである。肌身にくっつく衣を衵ジツ、ねちねちと粘りつくどろを𣵀デツというのは、日の「くっつく」という物理的イメージを利用した言葉である。「日は実(みちる)なり」という語源説は案外否定するに及ばないかもしれない。