「入」
白川静『常用字解』
「象形。室の入口の形。入は入口から“いる、いれる、はいる”の意味に用いる」
[考察]
入口の字形だから「入口から入る・入れる・入る」の意味だという。字形から意味を導くと同語反復になってしまう。入る際には最初の段階があるから、それは入口には違いないが、そんなに場所を限定できない場合も多い。 入の意味のポイントは入口にあるのではなく、内側と外側の関係にある。1430「内」で入についても述べたので再掲する。
入・内・納の同源意識は古くからある。音も意味も非常に近い。ある範囲、例えば〇で図示すると、〇の囲いのうちがわが内、囲いのどこからかうちがわに入っていくことが入、囲いのうちがわに物をしまいこむことが納である。入・内・納とも訓で「いれる」と読むことがある。ある範囲のうちがわに物をいれる行為を表す言葉があって、入(niəp)・内(nuəb)・納(nəp)の三つに分化したと見ることができる。
字源を見てみる。入が先にできていたのは間違いない。だから内は「入(音・イメージ記号)+冂(イメージ補助記号/限定符号)」と解析する。入は隙間が開いて↑の方向へはいっていくことを示す象徴的符号。冂は枠、あるいは建物を示す符号。したがって内はある範囲の中へはいっていくことを暗示させる図形と解釈できる。(以上、1430「内」の項)
入は象形文字には見えない。だから「隙間が開いて↑の方向へはいっていくことを示す象徴的符号」と解釈する。
白川静『常用字解』
「象形。室の入口の形。入は入口から“いる、いれる、はいる”の意味に用いる」
[考察]
入口の字形だから「入口から入る・入れる・入る」の意味だという。字形から意味を導くと同語反復になってしまう。入る際には最初の段階があるから、それは入口には違いないが、そんなに場所を限定できない場合も多い。 入の意味のポイントは入口にあるのではなく、内側と外側の関係にある。1430「内」で入についても述べたので再掲する。
入・内・納の同源意識は古くからある。音も意味も非常に近い。ある範囲、例えば〇で図示すると、〇の囲いのうちがわが内、囲いのどこからかうちがわに入っていくことが入、囲いのうちがわに物をしまいこむことが納である。入・内・納とも訓で「いれる」と読むことがある。ある範囲のうちがわに物をいれる行為を表す言葉があって、入(niəp)・内(nuəb)・納(nəp)の三つに分化したと見ることができる。
字源を見てみる。入が先にできていたのは間違いない。だから内は「入(音・イメージ記号)+冂(イメージ補助記号/限定符号)」と解析する。入は隙間が開いて↑の方向へはいっていくことを示す象徴的符号。冂は枠、あるいは建物を示す符号。したがって内はある範囲の中へはいっていくことを暗示させる図形と解釈できる。(以上、1430「内」の項)
入は象形文字には見えない。だから「隙間が開いて↑の方向へはいっていくことを示す象徴的符号」と解釈する。
コメント
コメント一覧 (2)
漢字を記憶するための便法というのなら、白川氏の会意文字形成説も何らかの意味はあるかもしれませんが、実際にはデタラメです。一般の漢字イメージがあるも、正しいものに変わっていくことが望ましいと思います。
本ブログの結論はーーー白川説の漢字の見方・説き方は「字形→意味」の方向であるが、「意味→字形」の方向でないと、しばしば間違いが起こる、否、根本的に間違いである。意味とは「字形の意味」ではなく「言葉の意味」である。白川説には「言葉」がない、これが白川説の本質である、ということです。
細かい所では、問題点がたくさんあります。多くの人に本ブログを参考にしてもらいたいと念願しています。まだコメントが少ないですが。