「拝」
正字(旧字)は「拜」である。

白川静『常用字解』
「会意。手と𠦪とを組み合わせた形。𠦪は花の形で、一本の茎に花の咲いている形。それをかがんで手で抜き取る形が拝で、“草花を抜く、ぬく”の意味となる」


[考察]
𠦪が花の形というが、とうてい花には見えない。華と混同しているのではないか。また拝を「花をかがんで手で抜き取る形」というが、なぜ「かがむ」「抜き取る」が出るのか分からない。そもそも拝に「花を抜き取る」という意味があるだろうか。
古典では拜は次のように使われている。
①原文:虎拜稽首 天子萬年
 訓読:虎拝して稽首す 天子万年
 翻訳:虎[人名]は拝みひれふし 天子よいつまでも長生きをと――『詩経』大雅・江漢
②原文:蔽芾甘棠 勿剪勿拜
 訓読:蔽芾たる甘棠 剪(き)る勿れ拝(わ)くる勿れ
 翻訳:こんもり陰なすマメナシの木 葉を切るな 枝を折るな――『詩経』召南・甘棠

①はおがむ意味。胸の前で肘を左右に分け、両手を↗↖の形に合わせ、頭を手につけてお辞儀をする行為である。②は二つに分けて切り取るという意味で使われている。これを古典漢語ではpuăd(呉音でヘ、漢音でハイ)という。これを代替する視覚記号しとして拜が考案された。
①と②には「二つに分ける」というコアイメージが含まれている。puădという語が八・発・伐・別・抜・敝・敗・半・判・弁などと同源で、「二つに分ける」という基本義があると指摘したのは藤堂明保である(『漢字語源辞典』)。だから拜には「二つに分ける」「左右に開く」というイメージが内在する。②が最初の意味で、②はその転義かもしれない。しかし拜という図形がなぜ作られたのかを探ると、①の意味を表記するためであることが分かる。
拜は「𠦪(イメージ記号)+手(限定符号)」と分析する。𠦪は見慣れない字で、『漢語大字典』によるとコツの音で、迅速の意味だというが、用例がない。𠦪は拜のために特別に作られた字と考えられる。しかし奏にもやや形を変えて利用されている。1118「奏」から引用する。
奏は「𠦪+廾」に分析できる。𠦪は拜の右側に含まれるものと同じで、神前に捧げる玉串の形である。廾は両手。したがって奏は両手をそろえて玉串を捧げる情景を設定した図形。ただしこれは意味ではない。この意匠によって「(大事なものを)一所に集めてそろえる」というイメージを表すのである。(以上、1118「奏」の項)
𠦪は木の枝に飾り物(ぬさ)をつけて、神前に捧げる玉串の形と解する。拜と奏に𠦪が含まれるのは捧げ物・供え物という用途があるからである。拜ではこれはおがむことの対象になっている。拜という図形からは上記の①の意味は出てこない。語源的に究明しないと字源だけでは限界がある。語源的に探求して初めて拜が八・発などの大きな単語家族の一員であり、「二つに分ける」というコアイメージを持つことが判明する。「二つに分ける」というコアイメージから①と②の意味が実現される。ちなみに白川は「その草を抜き取る姿勢が拝礼する姿勢に似ているので、“おがむ”の意味とする」と述べている。白川漢字学説には言葉という視点がなく、コアイメージという考えもないので、意味展開を言語外からしか説明できない。