「敗」

白川静『常用字解』
「会意。攴(攵)は木の枝を手(又)に持つ形で、打つの意味となる。貝は南海産の子安貝の形で、貴重品であって宝物とされ、古くは貨幣として使用された。この宝物を殴つことを敗といい、“やぶる、傷つける、こわす、そこなう”の意味となる」

[考察]
貝(ハイの音。バイは慣用音)と敗(ハイ)は音声上のつながりがあるから形声のはず。白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。本項もわざわざ会意とし、貝(子安貝、宝物)+攴→この(子安貝の)宝物を打つという意味を導く。
敗に「(子安貝や貨幣という)宝物を打つ」という意味があるだろうか。そんな意味はあり得ない。そもそも「宝物を打つ」とはどういうことか。全く無意味な行為である。
敗は古典で次の用例がある。
 原文:蔽芾甘棠 勿剪勿敗
 訓読:蔽芾ヘイハイたる甘棠 剪る勿れ敗る勿れ
 翻訳:こんもり陰なすマメナシの木 葉を切るな 枝をこわすな――『詩経』召南・甘棠
敗は二つに割ってこわすという意味で使われている。これを古典漢語ではpuăd(呉音でヘ、漢音でハイ)という。これを代替する視覚記号として敗が考案された。
敗は「貝(音・イメージ記号)+攴(限定符号)」と解析する。貝は二枚貝を描いた図形。ただし「かい」という実体に重点があるのではなく、形態に重点がある。二枚貝の特徴は殻が二枚に分かれていることである。この特徴から、貝は「▯←→▯の形に二つに分かれる」「左右に二つに割れる」というイメージを表す記号となる。攴は動作・行為の意味領域に限定する符号。したがって敗は物を二つに割る行為を示している。この意匠によって、上記の意味をもつpuădという語を表記する。敗の意味は貝という実体とは何の関係もない。
形声の説明原理とは言葉の深層構造に掘り下げ、コアイメージを捉え、語源的に意味の成立・展開を究明する方法である。