「廃」
正字(旧字体)は「廢」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は發(発)。発は開戦に先立ってまず弓を放つことをいう。“やめる、すてる”の意味にはもと灋(法のもとの字)を使用した。灋から廌を省略した法が“のり”の意味に用いられるようになって、形声の字の廃を“やめる、すたれる、すてる”の意味に使用するようになった」

[考察]
法と廃は音は似ているが、全く無関係である。つまり系統の違う言葉である。結局廢の字源については究明を放棄している。 
まず古典における廢の用例を見て、意味を確かめる。
①原文:往古之時、四極廢、九州裂。
 訓読:往古の時、四極廃し、九州裂く。
 翻訳:大昔、大地を支える四本の柱がこわれ、九州[中国全土]は裂けた――『淮南子』覧冥訓
②原文:廢爲殘賊 莫知其尤
 訓読:廃れて残賊を為し 其の尤を知るもの莫し
 翻訳:世は退廃して殺し合い 己の罪とがを知らぬ――『詩経』小雅・四月
③原文:纘戎祖考 無廢朕命
 訓読:戎(なんじ)が祖考を纘(つ)ぎ 朕が命を廃する無かれ
 翻訳:君らは先祖の業を継ぎ 我が命令を拒んではならぬ――『詩経』大雅・韓奕

①は物の形が壊れる意味、②は正常な形・性質などが壊れてだめになる意味、③は途中でやめる意味に使われている。これを古典漢語ではpiuăd(呉音でホ、漢音でハイ)という。これを代替する視覚記号しとして廢が考案された。
廢は語史が非常に古い。①の文献は漢代であるが、①の意味が最初で、②③の意味はそれの転義である。たまたま『詩経』など最古の古典に①の意味の廢が使用されていないだけである。廢の前に發が考案されていたことは言うまでもない。發は『詩経』に出ている。
發・廢の語源を究明したのは藤堂明保である。藤堂は八・肺・別・發・廢・抜・伐・貝・敗・弊・半・判・片・辺・辨・辯などを一つの単語家族にくくり、これらの語群はPAT・PAD・PANという音形と、「二つに分ける」という基本義があるとした(『漢字語源辞典』)。本ブログですでに述べた肺と敗も実はこれらのグループの一員だったのである。
以上は語源だが、次は字源を検討する。廢は「發(音・イメージ記号)+广(限定符号)」と解析する。發は1499「発」で詳述するが、結論だけを述べると、發は「左右に(二つに、←→の形に)分かれる」というイメージがある。广は建物に関係があることを示す限定符号。限定符号はカテゴリーの指定、意味領域の指示のほか、図形的意匠作りのための場面設定の働きがある。いずれも意味(語の意味)の外にあるメタ記号である。廢は家屋の解体の場面が設定され、家屋を←→の形に取り壊す情景を暗示させる図形である。これは図形的意匠であって意味ではない。意味は上記の①である。②は①から比喩的に転義したもの。物の形が壊れることから、性質などが変化・変形して正常を失う(だめになる、すたれる)という意味に転じた。廃水・廃品の廃は「性質が変化してだめになる」の意味、荒廃・興廃の廃は「力や勢いが衰えてだめになる(すたれる)」の意味。
廃止・廃業は「やめる」の意味だが、なぜこの意味に転じたのか。①②は「←→の形に二つに分ける」というイメージから実現された意味。物を二つに分けることは「―↓―の形に分ける」のイメージでもある。分けると切れ目がついて→|の形にストップすることになる。「二つに分ける」のイメージは「途中でストップする」のイメージに転化する。このような転義現象は断にも見られる。また英語のcutにも見られる。cutは「切断する」の意味のほかに「止める」「停止する」の意味がある。