「番」

白川静『常用字解』
「象形。獣の足うらの形。釆は爪の形で、爪を含めた獣の足のうらの形である。獣の足うらの意味には蹯を用い、番は交番・当番のように、“かわる、交替”の意味に用いる」

[考察]
番の全体が象形文字には到底見えない。『説文解字』では釆が獣の足の指爪が分別している形としている。しかしこれもおかしい。高田忠周、加藤常賢、藤堂明保らは釆ハンを種を播く形で、播ハの原字と見ている。これが正しい。釆は拳・巻などの上部に含まれ、種を握った拳を開いて種を播く直前の手のひらを描いている。 手のひらを開いて種を播く行為から、「円形を描くように四方に平らに広がる」「周囲を丸く取り巻く」「四方に発散する」「平面がひらひらする」というイメージを表す記号となる。
番は「釆ハン(音・イメージ記号)+田(限定符号)」と解析する。図形的意匠は田に種を播く情景であるが、釆と同じイメージを表している。具体的文脈では釆は使用されず、番が用いられる。どういう意味で使われるか。
①原文:申伯番番 既入于謝
 訓読:申伯番番ハハたり 既に謝に入る
 翻訳:申伯は勇ましく 間もなく謝に入城した――『詩経』大雅・崧高
②原文:迭爲三番。
 訓読:迭(かはるがは)る三番を為す。
 翻訳:三回交代する――『列子』湯問

①は勇ましいと意訳したが、力が有り余って発散させる様子を表し、これは「四方に発散する」というイメージが具体的文脈で実現されたもの。②は同じ動作を繰り返すことを意味する助数詞である。種を播く動作は手のひらを開いたり、裏返しにしたりするから、「平面がひらひらする」というイメージがあり、表になったり裏になったりして、同じような事態がA→B→A→Bの形に繰り返される。ここから②の意味として実現される。
A→B→A→Bの形に繰り返すのはかわるがわる交代することである。ここから順番という意味が生まれる。日本では順番に持ち番に当たる、持ち番を決めて見張る・担当するという意味に使う。これが交番・当番である。
白川は番を足うらの意味として、それ以上の言葉の追究をすることなく、「かわる、交替」の意味に用いるとしている。白川漢字学説には言葉という視点がなく、コアイメージという概念もないので、意味の展開を合理的に説明することができない。