「卑」

白川静『常用字解』
「会意。匙の形と又とを組み合わせた形。又は手の形であるから、柄のある匙を手に持つ形。卑は小さな匙を手に持つ形であるから、“いやしい、ひくい、ちいさい、へりくだる” の意味となる」

[考察]
小さい匙を手に持つ形から、「いやしい」の意味が出たという説明。なぜ卑が小さい匙なのか、なぜそれが「いやしい」の意味になるのか、今一つぴんと来ない。
古典における卑の用例を見てみる。
①原文:謂山蓋卑 爲岡爲陵
 訓読:山蓋し卑(ひく)しと謂へど 岡と為し陵と為す
 翻訳:山はいくら低いと言っても 岡もあれば陵もある――『詩経』小雅・正月
②原文:位卑而言高罪也。
 訓読:位卑くして言高きは罪なり。
 翻訳:地位が低いのに高言を吐くのは罪である――『孟子』万章下

①は空間的な幅が小さい(低い)の意味、②は地位・身分が低い意味で使われている。これを古典漢語ではpieg(呉音・漢音でヒ)という。これを代替する視覚記号しとして卑が考案された。
高に対する言葉は普通は低であるが、低の出現は遅い。最古の文献では高に対するのは卑である。空間的に低い意味から比喩的に②に転義するのは見やすい。卑劣・卑怯など、人格的にいやしいの意味はさらにその後の意味である。白川は転義を最初の意味としている。
字源については諸説紛々だが、朱駿声が椑(丸く扁平な酒器)とするのが比較的妥当である(『説文解字通訓定声』)。したがって卑は扁平な酒器を手に持つ姿を描いた図形と解釈する。この意匠によって「扁平」「薄くて平ら」というイメージを表すことができる。「薄くて平ら」は空間的な幅が小さい状態であるから、「低い」のイメージに展開する。このイメージを表現するために扁平な酒器という具体物を図形にしたのである。