「避」

白川静『常用字解』
「形声。音符は辟。辟は尸と口と辛とを組み合わせた形で、尸は横から見た人の形であり、辛は把手のついた細身の曲刀の形。辟は曲刀で人の腰の肉を切り取る刑罰を示し、口は切り取られた肉片の形である。腰の肉を切り取られ、まっすぐ立つことができなくて身をくねらせることを僻といい、その姿勢はものをさけるときの姿勢に似ている。それで道をさけることを避という」

[考察]
白川漢字学説では口を「祝詞を入れる器」とするのが常だが、なぜ本項だけその解釈をしないのか。これが疑問の一。「腰の肉を切り取る刑罰」が存在しただろうか。腰斬という刑罰はあったが、肉片を切り取るはずはない。口は「切り取られた肉片」だろうか。これが疑問の二。「腰の肉を切り取られ、まっすぐ立つことができなくて身をくねらせる」ことから「避ける」という意味が出るだろうか。これが疑問の三。
白川漢字学説には言葉の視座がなく、コアイメージという概念もないので、形声の説明原理がない。だから会意的に説くしかないが、字形から意味を引き出すのには無理がある。
意味とは「言葉の意味」であって、字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。古典における避の使われる文脈を見てみる。
 原文:舜避堯之子於南河之南。
 訓読:舜は尭の子を南河の南に避く。 
 翻訳:舜は尭の子をまともに顔を合わさないように南河の南に身をよけた――『孟子』万章上
避は脇に身を寄せてまともに当たらないようにするという意味で使われている。これを古典漢語ではbieg(呉音・漢音でヒ)という。これを代替する視覚記号しとして避が考案された。
避は「辟(音・イメージ記号)+辵(限定符号)と解析する。古代では肉刑が多かったが、最も残酷な刑罰は支解と呼ばれるもので、生体解剖に近い。これを念頭に図形化されたのが辟である。辟は「尸(人体)+口(穴)+辛(メス)」を合わせた図形で、メスで人体を切り開く情景である。この図形的意匠によって「←▯→の形や↲▯↳の形にに左右に開く」というイメージを示す記号となる。これは「中心から横に平らに広がる」「中心から横にそれる」というイメージにも転化する。辵は進行と関係があることを示す限定符号。したがって避は本道から横にそれて行く状況を示す。これは図形的意匠であって意味ではない。意味は上記の通りである。