「百」

白川静『常用字解』
「指事。白の上に一横線を加えた形。白の上に一本の線を加えて数の“ひゃく(もも)” を示す。白はされこうべの形であるから数に関係のない字であるが、おそらく白の音をとるものであろう」

[考察]
白が音を取るなら音符ということになる。そうすると形声のはず。しかし「一+白」でなぜ数の「ひゃく」なのか、理由が分からない。会意としてもその理由は分からない。
そもそも白は「されこうべ」なのか。これこそ疑問である。「されこうべ」では数の「ひゃく」を説明できない。
白については1484「白」で述べたようにドングリの象形文字である。その証拠は皂(皁・早)に白が含まれ、『説文解字』の草の説明で、「櫟実(ドングリ)なり」とあり、これは早(皂・皁)の説明になっている(1115「早」を見よ)。 
ドングリは多数の象徴になりうる。だから「白(音・イメージ記号)+一」を合わせて、数の一百(100)を表している。
古典漢語における数詞の体系は十進法で、十倍ごとに単位名を必要とする。 基数が終わって、次に進むと、単位が必要になる。これが十。 十は単位の名であり、数詞の10は一十というのが正式(日本では一を省略する)。九十九の次にまた新たな単位が必要になる。この単位を百という。正確に言えば百ではなく白である。白が単位名で、数詞の100は一白という。200は二白、300は三白である。しかし合文(二文字を一文字にする)という漢字の作り方があり、一白を「百」と合文した(殷代の甲骨文字)。のちに百が単位名になり、数詞の100は一百と書くようになった。
このように白を多数の象徴として百が成立したのである。百以後の単位名(千・萬・億・兆など)も多数という漠然とした観念から命名されている。