「浜」
正字(旧字体)は「濱」である。 

白川静『常用字解』
「形声。音符は賓(賓)。賓は宀と万と貝とを組み合わせた形で、祖先を祭る廟(宀)の中に、犠牲の動物の後ろ足(万)と呪器としての貝とを供えて祭り、神を迎える儀礼をいう。水ぎわでおこなう神を迎える儀礼を濱といい、“みぎわ、はま”の意味に用いる」 

[考察]
字形の解剖にも意味の解釈にも疑問がある。万が犠牲の動物の後ろ足というが、なぜ後ろ足なのか。こんなものを犠牲として供えることは証拠も何もない。犠牲として供えるものは全形(肢体の完全に備わった動物)であろう。また貝がなぜ呪器なのか。「宀+万+貝」で、なぜ「神を迎える儀礼」の意味になるのか、また濱がなぜ「水ぎわでおこなう神を迎える儀礼」の意味になるのか。こんな意味が濱にあるのか。あり得ない。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。言葉を無視するから、しばしばあり得ない意味が出てくる。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の全般的特徴である。
意味とは「言葉の意味」であって、言葉を無視しては意味を捉えることはできない。意味は言葉の使われる文脈からしか出てこない。濱の古典における用例を見てみよう。 
 原文:于以采蘋 南澗之濱
 訓読:于(ここ)に以て蘋を采る 南澗 の浜に
 翻訳:浮き草摘みましょう 南の谷の水辺で――『詩経』召南・采蘋
濱は水辺の意味で使われてる。これを古典漢語ではpien(呉音・漢音でヒン)という。これを代替する視覚記号しとして濱が考案された。
濱は「賓(音・イメージ記号)+水(限定符号)」と解析する。賓については1574「賓」で詳述するが、結論だけ先取りすると、主人のそばにくっつくお客(主人とペアになる客)が賓で、賓は「すれすれに近づく」というイメージがある。だから水と陸がすれすれに接近している所(水辺、水際)が濱である。