「不」

白川静『常用字解』
「仮借。否定・打消の“ず、しからず”に仮借している。もと象形の字で、花の萼柎(萼としべの台)の形であるが、その“はなぶさ、へた”の意味に使用することはほとんどない。否定“ず”の意味はその音を借りる仮借の用法であるが、甲骨文字以来否定の意味に使用されている」

[考察]
不は花の萼の形で、これを否定詞に用いるのは仮借だという。
仮借とは何か。aを意味するAがないとき、bを意味するBをAの代わりに用いるということである。本項では、否定の「ず」を意味する文字がないので、萼を意味する不を借りたということになろう。しかし甲骨文字ですでに否定の「ず」を不で表しており、仮借というのは変である。不がなぜ否定の意味をもつのかが分からないため、仮借説に逃げたとしか思えない。白川学説では意外に仮借説が多い。それは言葉という視点がなく、言葉の深層構造を追究する考えがないからである。
不を花の萼の象形とするのは近代の文字学者(王国維など)が唱えたもので、これは定説になっている。しかしたいていの文字学者は否定詞の用法を仮借としている。
古典漢語における否定詞の由来に二つの系統がある。一つはある事態をないことにする場合。「見えない」というイメージから「無い」というイメージに転化し、これが否定詞になる。例えば莫、未、勿、微、蔑など。もう一つは、ある事態の反対をいう場合。ある事態を分裂させて「それとは違う」「そうじゃない」と打ち消す。これには非、弗があるが、不は後者の系統である。
不は花の萼(がく、うてな)を描いた図形であるが、実体ではなく形態にポイントがある。萼は花の花弁を囲んで、丸くふっくらとした形をしている。 したがって不は「丸くふくれる」「ふくらむ」というイメージを表すことができる。図示すると〇の形。物が丸くふくれて膨脹し、極点に達すると、噴き出たり、分裂することがある。噴は「丸くふくれる」というイメージから「噴き出る」というイメージに転化する。倍・剖は「丸くふくれる」というイメージから「二つに分かれる」というイメージが生まれる。咅には否が含まれ、否には不が含まれている。
不は「丸くふくれる」というイメージから「二つに分かれる」というイメージに転化するのである。これが否定詞の用法につながる。
不は古典漢語ではpiuəgまたはpiuətと読む。物事を打ち消す際、頰をふくらませてプーといった音を発することから、この語が生まれたと考えてよい。これは否と同じである(1532「否」を見よ)。