「夫」

白川静『常用字解』
「象形。髻に簪を通している男の形。大(手足を広げて立っている人を正面から見た形)に一を加えて、頭上の髻に簪をさして正装している姿を示している。夫・妻は結婚式のときの正装した男女の晴れ姿を示す字である。それで夫は“おっと、おとこ”の意味となる」

[考察] 
夫が「大」と「一」に分析できるのであれば、象形ではない。「大+一」から、結婚式のときの男の正装の姿と見るのは深読みであろう。
意味は「言葉の意味」であって、字形から引き出すものではなく、言葉の使われる文脈から理解するものである。夫は古典に次の用例がある。
①原文:夫也不良 國人知之
 訓読:夫や良からず 国人之を知る
 翻訳:おっとは私によくしてくれぬ 町中の人が知っている――『詩経』陳風・墓門
②原文:維此奄息 百夫之特
 訓読:維(こ)れ此の奄息エンソク 百夫の特 
 翻訳:この奄息[人名]こそは 百人の男の中の優れ者――『詩経』秦風・黄鳥

①はおっとの意味、②は成人した男子の意味で使われている。これを古典漢語ではpiuag(呉音・漢音でフ)という。これを代替する視覚記号しとして夫が考案された。
夫の語源を明らかにしたのは藤堂明保である。藤堂は父・夫・伯・甫を一つの単語家族にくくり、PAG・PAKという音形と、「長輩の男」 という基本義があるとした(『漢字語源辞典』)。これに覇を加えてもよいだろう。 
これらは「トップに立つもの」というイメージでもある。トップに立つものは下のものを押さえて圧迫する。また下に対して大きな権力を振るう。 だからこれらの語は「迫る」「大きく広がる」というイメージをあわせ持つ。父権社会で大きな力をふるうのが父であり、夫であり、伯(長兄)、甫(長老)、覇(諸侯のボス)である。夫は妻に対しての権力者である。
字源は「大」(両手両足を広げて立つ人)に「一」を添えたもの。「大」のいちばん上に「一」を添えた字は天で、頭のてっぺんを示しているが、夫はそれより下に添えてある。『説文解字』では「大に従ひ、一は以て簪に象る」とある。髪の部分に「一」を添えて、簪をさした姿を示している。これは成人男子の髪型である。この図形的意匠によって、上記の①②の意味をもつpiuagを表記する。