「父」

白川静『常用字解』
「会意。|(斧の頭部の形)と又とを組み合わせた形。この場合の斧は木を伐る道具としての斧ではなく、儀礼用の器としての斧で、指揮権の象徴である。又は手の形であるから、斧の頭部を手に持つ形が父で、指揮権を持つ人、指揮する人をいう。家にあって子どもを指揮する“ちち”の意味に用いる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。手で斧を持つ形から、「指揮権を持つ人」「指揮する人」という意味を導く。これから「ちち」の意味になったという。
斧が指揮権の象徴だというのは証拠があるだろうか。87「王」では鉞の頭部が王位の象徴としているが、鉞=王のシンボル、斧=父のシンボルと言えるだろうか。斧が指揮権の象徴なら「ちち」に限るのが変である。
白川漢字学説は言葉という視点がなく、字形から意味を取り出す。 斧という道具を儀礼用のものに変え、だから指揮権の象徴、だから「ちち」の意味になるという。この意味展開に必然性があるだろうか。字形→意味の方向に漢字を見ると、曲がった解釈にしかならないだろう。
意味とは「言葉の意味」であって、言葉の使われる文脈からしか出てこない。 父は古典の用例を見るまでもなく、「ちち」の意味に使われている。古典漢語では「ちち」をbiuag(呉音でブ、漢音でフ)という。
この語の語源については1579「夫」で述べたので再掲する。
藤堂明保は父・夫・伯・甫を一つの単語家族にくくり、PAG・PAKという音形と、「長輩の男」 という基本義があるとした(『漢字語源辞典』)。これに覇を加えてもよいだろう。 これらは「トップに立つもの」というイメージでもある。トップに立つものは下のものを押さえて圧迫する。また下に対して大きな権力を振るう。 だからこれらの語は「迫る」「大きく広がる」というイメージをあわせ持つ。父権社会で大きな力をふるうのが父であり、夫であり、伯(長兄)、甫(長老)、覇(諸侯のボス)である(1679「夫」の項)。
古典漢語で「ちち」をbiuagというのは、これらの語群の一員としての語源意識があるからである。この語を視覚記号に変換し、図形として表現したのが父である。なぜこのような図形が考案されたのか。ここから初めて字源の話になる。
父は白川の言う通り、斧を手に持つ姿を描いている。後世の斧に父が含まれているのは、父が「おの」から発想されたということが忘れられていないからであろう。ただし父は「おの」という意味ではない。実体に重点があるのではなく、形態・機能に重点を置くのが漢字の造形原理である。つまり具体的な物ではなく、抽象的なイメージを重視するのである。斧は言うまでもなく樹木などを切る用途があり、その形態は刃の部分が広がっている。だから「大きく広がる」というイメージを表すことができる。父をもとに成立する語に、斧のほかに釜、布、甫がある。布と甫は「平らに広がる」というイメージを示す記号ともなる。 甫は博・敷・薄・捕・補・縛など多く語群を成立させる。
「父」 は「大きく広がる」というイメージから出発する。これは空間的イメージであるが、単に「大きい」という抽象的なイメージにもなりうる。ここから上記の単語家族の構成員として、人の上に立って大きな力をもつものという言葉、その仲間のうちの家族における権力者である人をbiagといい、「ちち」の意味とするのである。