「風」

白川静『常用字解』
「形声。音符は凡。甲骨文字は鳥の形。神聖な鳥であるので冠飾りをつけている。鳳のもとの形と同じである。その鳥の左や右上に音符の凡を加えている。天上には竜が住むと考えられるようになり、風は竜の姿をした神が起こすものであると考えられるようになって、鳳の形の中の鳥を取り、虫(竜を含めた爬虫類の形)を加えて、風の字が作られ、“かぜ”の意味に用いられる」

[考察]
「かぜ」を起こすものは最初は鳳凰で、次は竜(竜神)とされたので、字体が鳳から風に変わったという説であろう。肝心の凡はどうなったのか。単なる音符なのか。
いったい音符とは何であろうか。アルファベットのような音素文字と、漢字のような記号素文字では、音符の概念は異なる。音を表す記号(符号)は、アルファベットの場合は音素の読み方であるが、漢字の場合は記号素、つまり漢語の記号素の読み方である。漢語の記号素はおおむね一単音節である。風の上古音は*piuəmと推定されている。これ全体が一音節の一語である。これの音を示す音符が凡だとすれば、凡は*biămと推定されており、風と似てはいるが違いもある。凡は風の音を正確に表していない。だから音素文字的な音符ではない。では何と呼ぶべきか。凡は言葉のコアイメージと深く関わるので、「音・イメージ記号」と呼ぶべきである。音素文字では音符は純粋に正確に音を表しているが、記号素文字では正確に音を表すのではなく、音を暗示させる機能が主である。最も重要なのはイメージを表すことである。
では風はどのようにして造形されたのか。古典漢語では「かぜ」を*piuəm(呉音でフ・フウ、漢音でホウ)という。これを代替し再現させる視覚記号が風である。
風は「凡(音・イメージ記号)+虫(限定符号)」と解析する。凡は船の帆を描いた図形である(1508「帆」を見よ)。帆は風をはらみ、風の力で船を進めるものであるから、風と関係がある。しかしこれは言語外の表面的な関係である。言葉の深層構造におけるイメージ(コアイメージ)を捉えることが重要である。帆は枠いっぱいに張り広げるものであり、平面の全体を覆うことになるから、凡は「広く覆う」「覆いかぶさる」というイメージがある。このイメージが「かぜ」を意味する*piuəmの成立と関わってくる。虫は生物と関係があることを示す限定符号である。風とは万物を覆って、生物に生命を与える気の一種である。これが古人の風に対する観念であり、この観念に基づいて「凡+虫」を合わせた風が造形されたのである。
漢代の『白虎通義』では「風の言たるは萌なり」(風は萌と同源で、植物を発生させるものである)とあり、また『釈名』では「風は氾なり。その気、博氾(四方に覆い広がる)して、物を動かすなり」「風は放なり。気、放散するなり」とある。風は生物を生み出す原動力、放散して万物に影響を与える気といった考えが古代にあったことがうかがえる。これは漢代の思想であるが、上代でも同様の風に対する観念があったとしても不思議ではない。