「噴」

白川静『常用字解』
「形声。音符は賁。賁はもと𠦪を要素とする字で、𠦪は花がいっせいに開き始める形。それで賁には美しいの意味があり、また中にある力がはげしい勢いで外にあらわれることをいう。そのような勢いで気をはげしくふき出すことを噴という」


[考察]
字形の解剖に疑問がある。賁は明らかに貝を含む。「花がいっせいに開き始める形」にはとうてい見えない。また賁に「美しい」とか「中にある力がはげしい勢いで外にあらわれる」という意味はない。「花が開き始める」から「気を激しく噴き出す」への意味展開は疑問である。
まず古典における噴の用例を見る。
 原文:子不見夫唾者乎、噴則大者如珠、小者如霧。
 訓読:子は夫(か)の唾なる者を見ずや、噴けば則ち大なる者は珠の如く、小なる者は霧の如し。 
 翻訳:君は唾を見たことはないかね。唾を吐けば大きいものは真珠のよう、小さいものは霧のようだ――『荘子』秋水

噴は勢いよくふき出す意味で使われている。これを古典漢語ではp'iuən(呉音・漢音でホン)という。これを代替する視覚記号しとして噴が考案された。
噴は「賁(音・イメージ記号)+口(限定符号)」と解析する。賁は「卉+貝」に分析できる。卉は花卉の卉である。卉は芔がもとの形。屮(草)を三つ重ねた形で、草がこんもりと群がり生える情景。これを図示すると∩の形。賁は「卉(∩の形に盛り上がる。イメージ記号)+貝(限定符号)」と解析する。賁は貝殻が∩の形に丸く盛り上がっている状況を示す。ただしこんな意味を表すのではない。「丸くふくれる」「中身が詰まって盛り上がる」というイメージを表す記号とするのである。中身が詰まって盛り上がり、極点に達すると、↑の形に中身が飛び出しそうになる。したがって噴は詰まった中身がはけ口を求めて一気にふき出すことを暗示させる。この図形的意匠によって上記の意味をもつp'iuənの表記とする。
ちなみに卉は奔走の奔にも使われている(「奔」でも詳述)。噴と奔は同源の語である。