「蚊」

白川静『常用字解』
「形声。もとの字は蟁に作り、音符は民。蚊は音符は文。昆虫の“か” の意味で、ともにその羽音を写した擬声語である。国語の“か”も擬声語である」

[考察]
民や文は「か」の羽音の声を表す擬音語だという。鶏・鳩・猫なども擬音語だとしている。動物などの声は言語によってさまざまに聞こえるから、完全に否定することはできないが、漢字の造形法は擬音語とは違った面がある。言葉は擬音語だとしても、「なぜその声を写すのにその記号を用いたのか」という理由が別にあるからである。牛の音「ギュウ」や犬の音「ケン」は擬音語由来と考えられるが、字形の牛や犬は擬音語ではない。これらは実体の特徴をかたどった字形である。
形声文字である蚊も同じことである。言葉のブンはたとい擬音語だとしても、なぜ「虫+文」なのか、なぜ文という記号を選んだのかは別に考える必要がある。実体の特徴を表すために文が利用されたと考えるのが自然である。鶏・鳩・猫も同じ。白川の擬音語説は不十分な字源説といわざるを得ない。
昆虫の「か」を古典漢語ではmiuən(呉音でモン、漢音でブン)という。この聴覚記号に対する視覚記号として蟁と蚊の字形が考案された。
蟁は「民(音・イメージ記号)+䖵(限定符号)」と解析する。民は「見えない」というイメージを示す記号である(後に「民」の項で詳述)。䖵は昆虫と関係があることを示す限定符号。蠭(蜂)や蠶(蚕)などが䖵を限定符号としている。蟁は姿が見えないほど小さな昆虫、あるいは気づかないうちに血を吸いにくる昆虫を表している。これは「か」の形態的、生態的特徴を捉えて作られた図形である。 
蚊は「文(音・イメージ記号)+虫(限定符号)」と解析する。文はあや・模様のことで、細かい文様が入り混じったものである。だから文は「細かいものが入り混じる」というイメージを示す記号になる。蚊は細かいものが入り混じるように飛ぶ虫を表している。こんな特徴をもつ虫はいくらでもあるが、「か」を意味するmiuənの表記だから、「か」の特徴の一つを図形化したのが蚊である。
以上言葉と図形の関係から蚊の成立を見た。単なる擬音語説では図形の成り立ちの説明がつかない。