「弁(辯)」

白川静『常用字解』
「形声。音符は辡べん。辡は、もし誓約にそむくときは入れ墨の刑罰を受けますという意味で、辛(入れ墨をするときに使う針の形)を二つ並べた形で、裁判にあたって原告と被告が誓約して争うことをいう。言は神への誓いのことば。原告と被告が言い争うことを辯という。“いいあらそう、あらそう、たくみにいう、おさめる” などの意味に用いる」

[考察]
字形の解釈にも意味の取り方にも疑問がある。辛(入れ墨用の針)を二つ並べて、なぜ「もし誓約にそむくときは入れ墨の刑罰を受けます」という意味になるのか、またなぜ「裁判にあたって原告と被告が誓約して争う」という意味になるのか、よく分からない。また言が「神への誓いのことば」の意味というのも疑問(489「言」を見よ)。また辯が「原告と被告が言い争う」の意味というのも疑問。「神への誓いのことば」がこれとどう関わっているのかの説明もない。疑問だらけの字源説である。
辯の古典での用例を見てみよう。
 原文:善者不辯、辯者不善。
 訓読:善なる者は辯ぜず、辯ずる者は善ならず。
 翻訳:善人は議論せず、議論する者は善人ではない――『老子』第八十一章
辯は是非をはっきりさせようと議論する(理屈を立てて話す)という意味で使われている。これを古典漢語ではbian(呉音でベン、漢音でヘン)という。これを代替する視覚記号しとして辯が考案された。
辨が先に発生し、辯は辨から派生・展開する語である。辨については1653「弁(辨)」で述べたが再掲する。

辨は「辡ベン(音・イメージ記号)+刀(限定符号)」と解析する。辡は「辛(刃物)+辛」を合わせて、二つに切り分けることを示す記号である。これに刀を添えた辨は刀で二つに切り分ける状況を示している。これは図形的意匠であって意味ではない。刀で両断することを比喩として、あいまいな事態・状態を二つに分けてはっきりさせることを表そうとする。これによって、是非・善悪などの違いを分けて区別する意味、見分けてはっきりさせる意味が実現される。(以上、1653「弁(辨)」の項)

物事の是非・善悪などを分けてはっきりさせることから、言葉で善し悪しをはっきりさせるという意味が生まれる。これを表すために作られたのが辯である。辯は「辡(音・イメージ記号)+言(限定符号)」と解析する。辡は「二つに分ける」というイメージを示す記号。言は言葉と関係があることを示す限定符号。したがって辯は言葉で善し悪しを分けてはっきりさせることを表している。この意匠によって上の用例にあるbianという語を表記する。