「歩」
正字(旧字体)は「步」である。

白川静『常用字解』
「会意。止(足あとの形)とA(足あとの形)とを組み合わせた形。足の動きをあらわす足あとの形を、左足と右足の足あとの形を前後に連ねた形、または右足と左足の形を前後に連ねた形が歩で、前に“あゆむ、あるく、ゆく、一歩”の意味となる」
A=止の鏡文字(裏返した形)。𣥗(步の正字)の下部。

[考察]
左足と右足の足あとを前後に連ねた形から、前にあるく意味になったという。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。步の字形から「前にあるく」の意味が出るだろうか。なぜ「前」か。なぜ「進む」ではないのか。「前にあるく」の意味を導くのは必然性がない。
また止は地面につけた足跡(footprint)の形ではあるまい。足(foot)の形であろう。止を右足とすればその鏡文字であるAは左足ということになる。要するに步は両足を上下に書いた字形である。これと似た構図は降の旁、韋の口を除いた部分に見られる。
白川漢字学説は言葉という視点が欠けている。意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。意味は字形から出てくるものではなく、言葉の使われる文脈から出てくるものである。步の意味は文脈から判断するしかない。
古典における步の用例を見るのが先決である。
①原文:徐步而死。
 訓読:徐ろに歩みて死す。
 翻訳:ゆっくりと歩いていって死んだ――『春秋左氏伝』哀公十一年
②原文:天步艱難
 訓読:天歩は艱難
 翻訳:天の歩み[国運]は困難である――『詩経』小雅・白華

①はあるく意味、②は比喩的使い方になっている。これを古典漢語ではbag(呉音でブ、漢音でホ)という。これを代替する視覚記号しとして步が考案された。 
『釈名』では「步は捕なり」と語源を説いている。捕まえるという意味ではなく、步と捕が同源だというのである。藤堂明保は甫のグループだけではなく拍や迫とも同源とし、「平らに薄くくっつく」という基本義があるという(『漢字語源辞典』)。物を捕まえる前提として手を物にくっつけるという動作がある。拍手の拍も同じである。くっつける仕方は平らな手のひらを対象にぺたっとくっつける。この点では捕も拍も同じ動作である。これは手の動作だが、足の場合はどうか。あるく動作の前提として扁平な足の裏を地面にぺたっとくっつける。このように地面を踏んづけてあるくことをbagというのである。
以上の語源的検討を踏まえると字源は分かりやすい。步は「止+止の鏡文字」を合せた図形である。止はfootの形である。止を右足とすればその鏡文字は左足ということになる。步は両足を交互に出してあるく情景と解釈できる。