「暮」

白川静『常用字解』
「形声。音符は莫。莫は艸(草)と艸との間に日(太陽)が沈んでいる形で、「くれる、くれ、くらい、おそい」の意味となり、暮のもとの字である。莫が打消の“ない”などの意味に使われるようになって、さらに日を加えて暮となった」

[考察]
字源説としては妥当である。しかしこれでは莫がなぜ否定詞になるかの理由が分からない。『字統』では「否定詞としての用法は、靡・末・無・亡などと声が通ずることによる仮借である」と述べている。「くれる」と「ない」とのつながりが分からないから、仮借説に逃げている。
白川漢字学説は言葉という視点がなく、ただ字形から意味を導く学説である。だから形声の説明原理もない。形声の説明原理とは言葉という視点に立ち、言葉の深層構造へ掘り下げ、コアイメージを捉えて、意味を説明する方法である。
言葉という視点から「くれる」と「ない」のつながりを検討する。
暮は「莫(音・イメージ記号)+日(限定符号)」と解析する。莫は1666「募」でも述べたが、「茻(草むら)+日」を合せて、草むらの間に日が沈む情景である。この意匠によって「隠れて姿が見えない」「覆われて見えない」というイメージを示す記号となる。暗くなってものが見えない状態になることが暮(くれる)である。
莫は暮と同じく「(日が)くれる」という意味に使われることもあるが、普通は否定詞に使われる。莫大は「~より大なるは莫(な)し」と読み、それより大きなものはない、つまり最も大きいという意味。「くれる」という動詞の根源(コア)にあるのは「隠れて姿が見えない」というイメージである。これを抽象化すると「見えない」となり、さらに抽象化すると「無い」というイメージに転化する。これが否定詞の用法を生むのである。