「方」

白川静『常用字解』
「象形。横にわたした木に、死者をつるした形。これを境界の所に呪禁として置いたもので、“外方(遠く離れた国)” の意味となる」

[考察]
字形の解釈にも意味の取り方にも疑問がある。横木に死者を吊した形から、なぜ「外方」の意味が出るのか、疑問である。死者を吊した横木を外国との境界に置くからだというが、意味展開が不自然で、合理性がない。なぜ死者を吊す横木とか、国境という意味にならないのか。そもそも死者を横木に吊すという事態が考えにくい。こんな古代習俗があったというのであろうか。方からこれを導くのはあまりにも恣意的な解釈と言わざるを得ない。
上文には引き続いて「方位・方角・方向のように“かた” の意味に用い、また方法のように“みち、てだて”の意味に用いる」とあるが、なぜ外方(外国)の意味からこんな意味に転義するのか。ここにも意味展開の不自然さがある。方位・方向の意味が先にあって、遠い方向にある国という意味に転じたというなら理屈に合うだろう。その逆の意味展開は言葉という視点から見ると合理的ではない。
まず古典における方の用例を見よう。
①原文:日居月諸 出自東方
 訓読:日や月や 東方より出づ
 翻訳:太陽も月も 東の方角から出る――『詩経』邶風・日月
②原文:厥德不回 以受方國
 訓読:厥(そ)の徳回(たが)はず 以て方国を受く
 翻訳:彼[文王]の徳はかんぺきで 地方の国ぐにを受け入れた――『詩経』大雅・大明

①は向き(方角・方向)の意味、②は地方・方域の意味で使われている。これを古典漢語ではpiang(呉音・漢音でハウ)という。これを代替する視覚記号として方が考案された。
方の字源については諸説紛々であるが、徐中舒(現代中国の文字学者)が「耒耜考」という論文で、農具の耒(すき)の形とした説が妥当である。ただし方に「すき」という意味はない。実体に重点を置くのではなく形態・機能に重点を置くのが漢字の造形原理である。耒は両側に柄のついたすきである。この形態的特徴に重点を置けば「←▯→の形に張り出す」というイメージを表すことができる。これがpiangという言葉のコアイメージである。
方の意味はすべてこれから展開する。←▯→の形は「中心から両側(左右)に延び出る」のイメージでもある。このイメージから、中心から左右上下に延びていく向きという意味が実現される。これが上記の①。国のレベルでは中心(中央、首都)から四方に延び出ていく所という意味に転じる。これが②の地方の意味である。白川はこれを外方(外国)とし、境界に呪い用の死者を吊した横木を置いたから外方が最初の意味だという。殷代の甲骨文字では確かに鬼方など「~方」という名称があるが、方位という意味もあるから、外方は方位からの転義と見るのがすなおであろう。
意味はコアイメージによって展開する。方は「←▯→の形に張り出す」がコアイメージ。これは「▯←→▯」の形でもよい。視点を変えると▯→←▯の形にもなる。これは「▯―▯の形に並ぶ」というイメージに転化する。方は「並ぶ」という意味もある。また、方位の方は左右だけではなく、上下に延びるというイメージが組み合わされている。これが四方である。左右上下の線を組み合わせると囗(四角形)になる。方形・方円の方はこの意味。四角形は角がきちんとある形である。これから、かどめがあって正しいという意味を派生する。これが品行方正の方。きちんとして正しいことから、手本・模範・法則の意味、また手本に則って行うやりかた(手立て、わざ)の意味が生まれる。これが方法・方策の方である。
このように意味はコアイメージから展開する。漢字を見るには字形の解釈だけではなく、言葉のコアイメージを捉えることが重要である。そうでないと意味の展開を合理的に説明できない。