「望」

白川静『常用字解』
「形声。音符は亡。甲骨文字の字形は、つま先で立つ人を横から見た形の上に臣(大きな瞳)を書く形で、つま先立って遠くを望み見る人の形であり、象形の字。これに音符の亡を加えた望は形声の字。遠くを望み見ることから、“のぞむ、まちのぞむ、ねがう”の意味に用いる」

[考察]
この説明だと遠くを望み見る形から、希望の望(のぞむ)の意味が出たということになる。望に「遠くを望み見る」 という意味はないのであろうか。
また亡は音符として付け足したに過ぎないと言っているようだが、果たしてそうだろうか。
白川漢字学説には形声の説明原理がないので、亡の説明ができない。言葉という視点がなく、ただ字形から意味を引き出そうとするから、亡は無視せざるを得ない。しかし亡こそ言葉の深層構造に関わる部分である。
まず古典における望の用例を見てみよう。
①原文:誰謂宋遠 跂予望之
 訓読:誰か謂ふ宋は遠しと 跂(つまだ)てば予之を望む
 翻訳:宋は遠いと誰が言う 背伸びすれば見えるのに――『詩経』衛風・河広
②原文:洵有情兮 而無望兮
 訓読:洵(まこと)に情有れども 而(しか)も望み無し
 翻訳:思いはまことにあるけれど 私の望みはかなわない――『詩経』陳風・宛丘

①は遠くを見る意味、②は待ちのそむ意味で使われている。これを古典漢語ではmiang(呉音でマウ、漢音でバウ)という。これを代替する視覚記号しとして望が考案された。
望は「亡(音・イメージ記号)+𡈼(イメージ補助記号)+月(限定符号)」と解析する。亡については1694「亡」で述べたように、「姿が見えない」というイメージを示す記号である。極端に抽象化すると「無い」というイメージになる。古典漢語におけるイメージ転化のパターンに、「無い」→「無いものを求める」という転化がある。莫と募・暮の関係、門と問・聞との関係にもこのイメージ転化がある。𡈼は壬や王に変形することがある。廷・呈・聖などに含まれている。𡈼は爪先立って背伸びする形である。月は月(つき)と関係があることを示す限定符号。限定符号は意味領域を指示するほかに、図形的意匠作りのための場面設定の働きがある。かくて望はまだ出ない(遠くて見えない)月を見ようと背伸びして眺める情景を設定した図形である。この意匠によって、見えないものを見ようと眺めることを表す。これが上の①の意味である。また「無いものを求める」というコアイメージから②の意味、希望の望の使い方が生まれる。