「北」

白川静『常用字解』
「会意。右向きの人の形と左向きの人の形とを、背中合わせに組み合わせた形。二人が背中合わせになった形であるから、“せ、せなか、そむく” の意味となる」

[考察]
二人が背中合わせになった形から「せなか」の意味が出たという解釈。果たしてこれでよいだろうか。
殷代の甲骨文字では方位を表す文字として東・西・南・北が造られており、これらは最初から方位の名であって、「せなか」やほかの意味では使われていない。
方位の名としてなぜ「北」という図形が考案されたのか。
北を分析すると「人+匕(人の鏡文字)」からできている。白川の言う通り、二人が背中合わせになっている情景である。この意匠によって「反対方向(←→の形)に向く」というイメージを表すことができる。
方位はきわめて抽象的な概念である。抽象的なイメージは具体的なイメージで図示する方法が取られる。東は心棒を通した土囊、西は目の粗い笊、南は植物の繁茂した土地(風土)から発想された。南は陽光・明るさや温暖のイメージから名づけられた。中原の人は陽光・温暖の方向に窓を向けて家を建て、君主の座位も南の方位に定められた。これと反対の方向に対しては暗さ、寒冷のイメージが与えられ、窓はこれに背を向け、臣下の座位もこの方位に定められた。古典には「南は陽位なり「北は陰位なり」「南は明陽なり」「北は幽なり」とある。 このように南と反対の方位を古典漢語(殷代の音もこれの延長で想定する)ではpuək(呉音・漢音でホク)といい、これを代替する視覚記号として「←→の形(反対向きになる)」のイメージを暗示させる北という図形が考案されたのである。
言語という視点から見るとpuək(北)という語は負・副や、また貝・敗・拝・肺・発・廃・伐・抜・別などと同源の大きな単語家族の一員であり、これらの語群は「二つに割れる」という基本義がある(藤堂明保『漢字語源辞典』)。「反対方向に(←→の形に)分かれる」というコアイメージと言い換えてもよい。中央を基準として南が←の方向だとすれば、→の方向に向くのが北である。東西も同様のイメージだが、これらは別のイメージによって名づけられた。特に「きた」をpuəkという理由は古代の生活習慣にある。