「牧」

白川静『常用字解』
「会意。攴は木の枝を手(又)に持つ形で、うつ、むちうつの意味となる。牛を放牧することを牧といい、“うしかい、やしなう”の意味となる」

[考察]
「牛+攴(むちうつ)」を合わせた字形から「牛を放牧する」という意味が出たという。牛をむち打つなら「牛を走らせる」の意味になりそうなものだが、なぜ「牛を放牧する」の意味になるのか。あらかじめ牧が「放牧」という使い方をすることが分かっているから、こんな解釈が出るのではあるまいか。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法であるが、限界がある。言葉という視点が欠けているからである。「字形→意味」の方向に漢字を見ると、正確な意味が出てくるとは限らない。牧の意味は牛という意味素を必ずしも含まないからだ。字形のみの解釈は余計な意味素を混入させる。甚だしい場合は間違った意味が出てくる。漢字は「意味→字形」の方向に見るべきである。
では意味はどこにあるのか。言葉にある。言葉の使われる文脈にある。 牧は古典で次のような文脈で使われている。
①原文:牧人乃夢
 訓読:牧人乃ち夢みる
 翻訳:羊飼いは夢を見た――『詩経』小雅・無羊
②原文:自牧歸荑
 訓読:牧自(よ)り荑テイを帰(おく)る
 翻訳:牧場からつばなを送ってくれた――『詩経』邶風・静女

①は家畜を放し飼いする意味、②はその場所の意味で使われている。これを古典漢語ではmiuək(呉音でモク、漢音でボク)という。これを代替する視覚記号として牧が考案された。
牧は「牛+攴」と分析する。牛は家畜の代表として選ばれた。攴は動作・行為と関係があることを示す限定符号である。したがって上の意味をもつmiuəkという語を表記するために牧が造られた。牧の図形的意匠は牛をむち打つというものではなく、家畜を養うといった意匠である。
字形から直接意味が出るのではなく、語の意味を暗示させるだけである。