「名」

白川静『常用字解』
「会意。夕は肉の省略形。口はᆸで、祝詞を入れる器の形。子どもが生まれて一定期間すぎると、祖先を祭る廟に祭肉を供え、祝詞をあげて子どもの成長を告げる名という儀礼を行う。そのとき、名をつけたので、“な、なづける”の意味となる」

[考察]
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法である。夕(肉)+口(祝詞を入れる器)→祝詞をあげて子どもの成長を告げる儀礼という意味を導く。「名」という儀礼から、子どもにつける「なまえ」の意味になったという。
「肉」と「器」の組み合わせというきわめて舌足らず(情報不足)な図形から、「祖先を祭る廟に祭肉を供え、祝詞をあげて子どもの成長を告げる儀礼」という意味が出てくるだろうか。たいだい祝詞とは口で唱える言葉、いわば聴覚言語である。これをどうして、なぜ、器に入れるのか。聴覚的な言葉を視覚的な文字に写し換えて、これを帛や木片(簡)に書写して、器に入れたのであろうか。なぜこんなややこしいことをなぜする必要があるのか。祖先への祈りは口で言うだけで十分なのではなかろうか。
こんな「名」の儀礼が実際に存在したのであろうか。証拠がないし、想像の域を出ないだろう。 また命名儀礼があったとすれば「名」という言葉があったからこそ命名儀礼という意味も生まれたのではないか。言葉よりも儀礼が先にあったというのは理解しがたい。
意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。字形の解釈と意味は同じではない。意味は言葉の使われる文脈からしか出てこない。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の全般的特徴である。
古典における名の用例を見よう。
①原文:多識於鳥獸草木之名。
 訓読:多く鳥獣草木の名を識る。 
 翻訳:[詩経を学ぶと]鳥獣草木のなまえをたくさん知ることができる――『論語』陽貨
②原文:君子疾沒世而名不稱焉。
 訓読:君子は世を没するまで名の称せられざるを疾(にく)む。
 翻訳:君子は死ぬまで名声が上がらないのを嫌う――『論語』衛霊公
③原文:猗嗟名兮 美目清兮
 訓読:猗嗟(ああ)名メイなり 美目清セイなり
 翻訳:ああ何ともすばらしいことよ 目がすがすがしくて――『詩経』斉風・ 猗嗟

①は物につけられる名前の意味、②は評判・誉れの意味、③は名高い、優れている意味で使われている。これを古典漢語ではmieng(呉音でミャウ、漢音でメイ)という。これを代替する視覚記号として名が考案された。
歴史的には③の文献が最古であるが、意味の論理的展開としては、①が最初である。人を含めた物につけられる符牒が「なまえ」である。これは言葉でもあるから、名は言葉の意味もあり、また言葉を写す文字の意味もある。また「なづける」という動詞の用法も生まれた。人につけられた名は人そのものの代わりでもあるから、人は名が世間に知られることを願望するのが常である。ここから、多くの人に知られて評判になること、名声・名誉という用法が生まれる。これが上の②である。また、名が広く知られることから名高いという意味が生まれる。これが上の③である。
物につけられるなまえをなぜmiengというのか。董仲舒(漢代の哲学者)は「鳴きて命施す、之を名と謂ふ。名の言たるは鳴と命なり」(『春秋繁露』深察名号篇)と述べている。鳥が鳴くのは自分の名を呼ぶことだから、名・鳴・命は同源の語という解釈である。また劉熙(後漢の語源学者)は「名は明なり。名実分明ならしむるなり」(『釈名』釈言語)と述べている。名分と実体を明らかにするものが名という解釈である。いずれにしても古人は名・鳴・命・明が関連のある言葉だと考えた。これは同源意識といってよいだろう。古人の漠然とした同源意識を学問的に究明したのが藤堂明保である。藤堂は名・命・鳴・冥・脈・覓・買・売などを同じ単語家族にくくり、これらはMEK・MENGという音型と、「かすかで見えない、わからぬ物をわからせる(ない物をあるようにする)」という基本義があるとした(『漢字語源辞典』)。そして名について「説文に“名とは命なづけるなり。口+夕の会意。夕は冥なり。冥にして相見えず。故に口をもって自ら名づくるなり”とある。夕は三日月であって、暗い夜を表す。暗くて見えない時、名前を口で告げて相手に知らせる。わからない時に、その存在をわからせるのが名である」と述べている。
これは明解である。「な」がないものは存在しないに等しい。「な」をつけることによって、その物の存在が明らかになる。だから物につける「なまえ」をmiengというのである。
改めて字源を見る。名は「夕(イメージ記号)+口(限定符号)」と解析する。夕は晩より前の時刻を表す語だが、「暗くてはっきり見えない」というイメージを表している。「見えない」というイメージは「分からない」というイメージに連合する。口は言葉や言うことと関係があることを示す限定符号。したがって名ははっきりと分からない物になづけることによって、その物をはっきり分からせることを暗示させる図形である。この意匠によって、物につけるなまえの意味をもつmiengを表記した。