「約」

白川静『常用字解』
「形声。音符は勺。勺は柄が少し曲がった形の匕杓の形であるので、糸を曲げて結ぶことを約といい、“むすぶ、しばる、むすびめ、ちかい”の意味となる。たま大約のように、“おおよそ”の意味に用いる」

[考察]
柄杓が曲がっているというのも解せないが、このことから「糸を曲げて結ぶ」という意味が出たというのも解せない。約に「糸を曲げて結ぶ」という意味があるだろうか。約束という使い方から分かる通り、何かあるものを束ねて縛るという意味である。縛るものは糸とは限らない。縛る行為には「曲げる」という動作も含まれているかもしれないが、約という言葉の深層構造には「曲げる」というイメージは含まれていない。
白川漢字学説には言葉という視点がないので、言葉の深層構造への視座もない。だから字形だけから意味を導く。曲がった柄杓の形から「糸を曲げて結ぶ」という意味を導いた。
意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。言葉の使われる文脈から出てくるものである。言葉の使い方が意味にほかならない。 
古典における約の使い方を見る。
①原文:約之閣閣
 訓読:之を約すること閣閣たり
 翻訳:これ[塀を造る板]をぐるぐると縛りつける――『詩経』小雅・斯干
②原文:蘇大約燕王。
 訓読:蘇大、燕王を約す。 
 翻訳:蘇大[遊説家の名] は燕王を遮った――『戦国策』燕策
③原文:約從散橫以抑強國。
 訓読:従を約し横を散じて以て強国を抑へん。
 翻訳:縦に連なる国と結び、横に並ぶ国をばらばらにして、強国を押さえましょう――『戦国策』秦策
④原文:君子博學於文、約之以禮。
 訓読:君子は博く文を学び、之を約するに礼を以てす。
 翻訳:君子は広く学問を学び、礼で引き締める――『論語』雍也
⑤原文:以約失之者鮮矣。
 訓読:約を以て之を失ふ者は鮮(すくな)し。
 翻訳:倹約して失敗することは少ない――『論語』里仁

①は束ねて縛る意味、②は縛ったりして自由にさせない意味、③は約束する、同盟関係を結ぶ意味、④はまとまりにくいものを引き締めてまとめる意味、⑤はむだを省いて引き締める意味で使われている。これを古典漢語では・iɔk(呉音・漢音でヤク)という。これを代替する視覚記号しとして約が考案された。
約は多義語である。①~③は何となくつながりが分かるが、④以後は①~③とのつながりが分かりにくい。これをスムーズにつなげるのはコアイメージである。①から⑤まですべて「細く締めつける」というコアイメージがあるのである。これが約という語の深層構造である。束ねて縛るという具体的な動作もこのコアイメージが実現されたものである。行動を自由にさせないという意味(制約の約)もこの意味の転義。また、結びの印をつけることから約束するという意味(契約・誓約の約)が生まれる。また「細く締めつける」というコアイメージから、 引き締めてまとめる(つづめる)意味(要約・縮約の約)、むだを省く意味(倹約・節約の約)に展開する。大約の約は「あらまし、おおよそ、ほぼ」という意味だが、これも要点だけに絞って引き締めることから、この使い方になる。
最後に字源の話。約は「勺(音・イメージ記号)+糸(限定符号)」と解析する。勺は柄杓の意味がある。しかし実体に重点があるのではなく形態や機能に重点がある。液体を汲むものだが、その際高く持ち上げる。だから勺は「高く上がる」というイメージを示す記号となる。一部だけを高く上げることから「目立つ」というイメージにも転化する。的(まと)は高く上げて目立たせたものである。糸は「いと」と関係があることを示す限定符号。したがって約は糸を結んで目立たせたものを暗示させる。これは契約や約束の印として紐で結び目を作る情景を暗示させる。ただしこれは図形的意匠であって意味ではない。「束ねて縛る」という意味をもつ・iɔkが「約束する」という意味に展開するのを踏まえて、このような図形的意匠が仕立てられたものである。
字形から意味を導くと「糸で結び目を作る」とか「糸を曲げて結ぶ」といった意味になりかねないが、古典における約の使い方を見ると上記のように使われている。これが約の意味である。字形は意味の後に作られるのである。