「薬]
正字(旧字体)は「藥」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は楽(樂)。説文に“病を治す艸なり”とあって、薬草の意味とする。“くすり、くすりでいやす”の意味に用いる」

[考察]
説文に従って「薬草」の意味とするが、字源についてはこれに続いて、「樂は柄のついた手鈴の形で、シャーマンがその手鈴を振り、病魔を祓って病気を治すことを𤻲といい、療の古い字形である。薬が音符を楽とするのは、古い時代にシャーマンが病気を治療することに当たったことの名ごりであろう」と述べている。字源については追補の形で、「であろう」と推測して述べているから、確説でもなさそうである。
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。本項では形声的に説明ができないから、会意的に考え直した結果、シャーマン治療(呪術療法)を持ち出したように見える。しかし楽がシャーマンの用いた手鈴なのか、ここからシャーマンが鈴を振って病気を治すことを療といったのか、疑わしい。194「楽」では「もと舞楽のときにこれ[手鈴]を振って神をたのしませるのに使用した」から、楽は「たのしむ」の意味になったというが、これも疑わしい。
白川漢字学説には言葉という視座がない。すべて字形から意味を読もうとする。その結果、図形的解釈と意味を混同している。意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。藥の使われる古典の文脈を見る必要がある。
①原文:以五味五穀五藥、養其病。
 訓読:五味・五穀・五薬を以て、其の病を養ふ。
 翻訳:[内科医は]五味と五穀と五薬で病気を手当てする――『周礼』天官・疾医
②原文:多將熇熇 不可救藥
 訓読:多くして将に熇熇カクカクたらんとす 救薬すべからず
 翻訳:ますます憂えて火のように熱い もはや薬でもいやせない――『詩経』大雅・板

①は自然界から素材を得た草根木皮(生薬)の意味、また広く「くすり」の意味、②は病気を治す意味で使われている。これを古典漢語ではgliok(yiak)(呉音・漢音でヤク)という。これを代替する視覚記号として藥が考案された。
藥は「樂ガク(音・イメージ記号)+艸(限定符号)」と解析する。樂については194「楽」で述べたが、もう一度振り返る。
樂の字源については諸説紛々で定説はないが、水上静夫が「樂は櫟の原字である」と唱えた説が妥当であろう。樂は「幺+白+幺+木」と解剖できる。幺は糸の上部に含まれ、繭の形。クヌギにはヤママユガ(山繭蛾)が繭を作る。白はドングリの形。これらは丸い粒状の物体である。樂はクヌギの特徴から発想された図形で、クヌギという実体ではなく、その形態的特徴に重点を置く図形である。すなわち「丸く小さい粒」というイメージを表現するために樂が造形された。音楽の意味は楽器から連想するのが簡単だが、音声面から視覚化しようとするのが古人の発想である。原始的な土製や石製の楽器はボコボコという音であろう。このような音のリズムは点々とつながるイメージである。これを粒状のものに見立てて視覚化する。かくて「丸くて小さな粒」のイメージをもつ樂が考案された。 (以上、194「楽」の項)
実体ではなく形態・機能に重点を置くのが漢字の造形法である。白川説では会意的に説くため実体を重視する。だから樂をシャーマンの手鈴という実体として意味を求め、シャーマンが神を楽しませるのが樂、シャーマンが鈴を振って病気を直すことが藥だとする。
実体ではなく形態を重視すると、樂はクヌギという実体を離れて「丸くて小さな粒」というイメージが取られたと解釈できる。小さな粒は一つだけではなく、散在している。だから「小さい点がばらばらになる」というイメージにも展開する。樂を基幹記号とするグループには「丸く小さな粒」「小さな粒が散らばる」というコアイメージがある。
轢(レキ)・・・車輪でひいて粒状につぶす→轢死・轢断の轢(ひく)
礫(レキ)・・・ごろごろした小さい石→瓦礫の礫(つぶて)
鑠(シャク)・・・金属を熱でばらばらにつぶす→金属を溶かす
爍(シャク)・・・火光が四方に飛び散る→あかあかと燃える・ぎらぎらと光る
このように樂の諧声語群は「小さな粒」というコアイメージをもっている。
樂は「丸くて小さな粒」「点々と 粒状に散らばる」というイメージを表す記号。艸は草と関係があることを示す限定符号。したがって藥は草を小さくすりつぶした粒状のものを暗示させる図形である。この図形的意匠によって上記の①の意味をもつgliok(yiak)という語を表記するのである。