「諭」

白川静『常用字解』
「形声。音符は兪。諭は把手のついた手術刀(余)で、患部の膿血を刺して盤(月は舟で、盤の形)中に移し取る形で、病気や傷が治ることをいう。病気を治すように、人の誤りを言葉でさとして直すことを諭といい、“さとす、つげさとす、いさめる”の意味となる」

[考察]
兪の字形の解剖の疑問につては1792「愉」で述べた。
兪は「膿血を取って病気を治す」という意味だろうか。まずこれが疑問。この意味から「病気を治すように、人の誤りを言葉でさとして直す」という意味になるだろうか。こんな意味が諭にあるだろうか。
意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。言葉の使われる文脈から出るものである。白川は図形的解釈と意味を混同している。古典における諭の用例を見る必要がある。
 原文:敎晦開導成王使諭於道。
 訓読:成王を教晦開導して道を諭らしむ。 
 翻訳:成王を教え導いて道をさとらせた――『荀子』儒効
諭は分からないことを分かるように教える意味で使われている。これを古典漢語でdiug(yiug)という。これを代替する視覚記号しとして諭が考案された。
諭は「兪(音・イメージ記号)+言(限定符号)」と解析する。兪については1792「愉」で述べたので再掲する。
篆文の兪は「亼+舟+巜」と分析できる。亼は金文に遡ると㐃になっており、これは余の原形である(㐃に八をつけたのが余)。『説文解字』には「兪は空中木爲舟也」とある。「空中木」は「中空木」、つまり木を中空にする(中を空にする)という意味のようである。木をくり抜いて舟を造るとは丸木舟の製造を言っている。そうすると㐃は何らかの道具(かんなや鑿のようは刃物)、「巜」の符号は削り屑を示している。したがって兪は刃物で木をくり抜いて中を空にして舟を造る情景である。これは図形的意匠であって「舟を造る」という意味ではない。丸木舟の製造という具体的な作業から発想し、「中身を抜き取る」「中身を取ってよそに移す」という抽象的なイメージを表している。(1792「愉」の項)
兪は「中身を抜き取ってよそに移す」というイメージ、言は言葉と関係があることを示す限定符号。したがって諭は心の中にある不明な点を取り除いてよく分かるように言葉で伝える状況を暗示させる。この意匠によって上の「分からないことを分かるように教える」という意味をもつdiug(yiug)を表記した。
教諭の諭とは「分からないことを分かるように教える」という意味であって、「病気を治すように人の誤りをさとす」という意味ではない。これでは教諭は誤りを犯した児童・生徒を輔導するような意味になってしまう。
皇帝や為政者が人民に対して布告を出すことを勅諭という。人民は物が分からないという偏見に立って、分からせてやるという上から目線で諭という。
一方、過ちや非行などをしないように忠告・警告をするという使い方も出た。日本では専らこの意味で「諭す」を使っている。しかしこの意味は本来の漢語にない。日本独自の使い方である。白川はこれを諭の本義としている。