「勇」

白川静『常用字解』
「形声。音符は甬よう。甬は手桶の形で、井戸水などがわき出ることを涌という。力は耒すきの形で、耒で耕すことは力を要し、一気に力を使う。そのように内部からわき出て、一気に事を成そうとする力を勇といい、“いさましい、つよい”の意味に用いる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなくすべて会意的に説く。また言葉という視点がないから、字形からのみ意味を導く。これを文字学の方法と称し、「字形学」と呼ぶ。
甬は桶、力は鋤。二つを合わせた勇は、鋤で耕すのは一気に力を使う→「そのように内部からわき出て一気に事を成そうとする力」→「いさましい」という意味を導く。
いろいろな疑問が浮かぶ。桶は水を汲む道具であるが、これから「井戸水などがわき出る」という意味が出るだろうか。力は耒の形だろうか。なぜすなおに腕力、つまり筋肉が生み出す「ちから」と見ないのか。鋤で耕すのは力を要するから「ちから」の意味や「一気に力を使う」という意味が出るとは、迂遠な話である。また「内部からわき出て一気に事を成そうとする力」という意味が勇にあるだろうか。またそれから「いさましい」という意味になるだろうか。
疑問だらけである。
意味は言葉に属する概念である。意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。字形から出るものではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。文脈にないものは意味ではない。
勇は古典で次のような文脈がある。
 原文:爾勇伊何 爲猶將多
 訓読:爾の勇は伊(こ)れ何ぞ 猶(はかりごと)を為すこと将に多し
 翻訳:お前の勇気って何だ 良からぬ相談事ばかりしている――『詩経』小雅・巧言
勇は気力が盛んで奮い立つという意味で使われている。これを古典漢語ではdiung(yiung)という。これを代替する視覚記号しとして勇が考案された。
勇は「甬ヨウ(音・イメージ記号)+力(限定符号)」と解析する。甬については1309「通」で述べたが、もう一度振り返る。
用・甬については諸説紛々で定説がない。 用はᅤの中間にᅡを突き通した図形で、何かという実体は不明だが、内部が突き通っている筒のようなものと考えられる。この用の上に〇または⦿をつけたのが甬である。甬も実体が不明。実体を究明しようとすると袋小路に入ってしまう。 実体にこだわらず象徴的符号と見ることもできる。つまり筒形の丸いものに縦線を突き通した象徴的符号と解したい。この図形的意匠によって、「筒形のもの」「突き通る」「突き抜ける」というイメージを表す記号としたと考えられる。(以上、1309「通」の項)
実体ではなく形態や機能に重点を置くのが漢字の造形原理である。甬の実体ははっきりとは分からないが、筩(竹の筒)や銿(筒形の鐘)を想定することはできる。桶を加えてもよい。いずれにしても「筒形のもの」「突き通る」「突き抜ける」というイメージを表す言葉をdiung(yiung)というのである。実体ではなく形態・形状のイメージに重点があるのである。
甬は「(中空を)突き通る、突き抜ける」というイメージ。力は「ちから」と関係があることを示す限定符号。したがって勇は力を突き通すように奮い立つ状況を暗示させる。
勇の語源について漢の劉熙は「勇は踊なり。敵に遇ひて踊躍して之を撃つたんと欲するなり」(『釈名』釈言語)と述べている。勇と踊は同源で、意味が近い。踊は上から下に突くように足踏みし、その反動で上におどり上がることである。これは身体の動作であるが、同じイメージが精神的、心理的イメージにも転用される。つまり気力がおどり上がるように奮い立つ心のありようを勇というのである。身体的イメージと精神的イメージは相互転化可能なイメージである。
日本人は勇に「いさむ」「いさましい」の訓をつけた。イサムとは「気持ちが高ぶって、元気いっぱいになる意」という(『古典基礎語辞典』)。これは漢語の勇の「気力が盛んで奮い立つ」という意味とほぼ対応していると見てよい。勇=「いさむ」「いさましい」の訓は妥当である。