「優」

白川静『常用字解』
「形声。音符は憂。憂は喪に服して、頭に喪章をつけた人が哀しんで佇む姿である。喪に服して哀しむ人の姿を優といい、またその所作をまねする者を優という。葬儀のとき、死者の家人に代わって神に対して憂え申し所作を演じた者であろう」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。憂(頭に喪章をつけた人が佇む姿)+人→喪に服して哀しむ人の姿という意味を導く。
優にこんな意味があるだろうか。あり得ない。意味とは「言葉の意味」であって字形から出るものではない。「喪に服して哀しむ人の姿」は字形の解釈であろう。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の全般的特徴である。
また、喪に服する人の所作をまねする者という意味もあり得ない。このような人が葬儀の際に喪主に代わって哀悼の所作をしたというが、「であろう」とある通り、推測に過ぎない。「神に対して憂え申し」というのも何のことか分からない。
古典では優は次のように使われている。
①原文:一難也、近優而遠士。
 訓読:一難や、優を近づけて士を遠ざく。
 翻訳:第一の論難とは俳優を近づけ、人士を遠ざけることだ――『韓非子』難三
②原文:優哉游哉 亦是戾矣
 訓読:優なる哉游なる哉 亦是れ戻(いた)れり
 翻訳:心も身もゆったりと よくぞお越しになった――『詩経』小雅・采菽

①はわざおぎ(俳優)の意味、②はゆったりと余裕があるという意味で使われている。これを古典漢語で・iog(呉音でウ、漢音でイウ)という。これを代替する視覚記号しとして優が考案された。
わざおぎとは宮廷で人を楽しませる芸人のことである。俳ともいい、優と合わせて、俳優ともいう。
優は「憂(音・イメージ記号)+人(限定符号)」と解析する。憂を文字通りに取ると、憂える人、葬式で喪に服する人の意味になってしまうが、これは俗説である。形声文字とはこんな安易な造形法ではない。言葉の深層構造へ掘り下げ、核にあるイメージを捉えて造形する方法である。憂のコアイメージとは何か。もう一度振り返る。
憂は「㥑ユウ(音・イメージ記号)+心(限定符号)」と解析する。㥑は「頁+心」に分析する。頁は普通は頭に関わる限定符号に使われるが、顔も頭部のうちなので、表情の現れる顔を示す記号として使うことができる。これに限定符号の心を添えて、顔に心のうちが表情として現れることを暗示させる。夊は止の逆さ文字である。止は足(foot)の形で、「進む」というイメージがある。夊は進もうとして進めない足、ひきずる足である。夊は歩行と関係があることを示す場合もあるが、進み方が遅い、前に進みにくいことを示す限定符号にも使われる。したがって憂は悩みごとがあってなかなか進みにくく、ひきずるように歩く状況を暗示させる図形である。これは精神面が身体面に現れていることであるが、精神面に視点を置くと、上記の通り、「物思いに沈む」「悩み事があって心配する」「悩み事」という意味をもつ言葉が実現される。(以上は、1809「憂」の項)
憂は「悩みごとがあってなかなか進みにくく、ひきずるように歩く」という動作の精神面に視点を置いた語であるが、身体面に視点を置くと、動作がゆったりしているというイメージになる。このイメージからゆったりとしなやかな所作をする人、すなわち上記の①の意味をもつ語が実現される。
また「ゆったりしている」というイメージから、②の意味に展開する。優遇の優はこの意味。また、しなやかで美しい意味(優美)、美しく秀でている意味(優秀)に展開する。すべて「ゆったりしている」というコアイメージからの意味展開である。