「用」

白川静『常用字解』
「象形。木を組んで作った柵の形。柵の中に祭祀に使用する犠牲を置き、養うので、犠牲とすることを“用ふ”という。犠牲として“もちいる”というのがもとの意味である」

[考察]
字形の解釈にも意味の取り方にも疑問がある。柵の形から、柵の中に犠牲を養う→犠牲として用いるという意味を引き出すが、なぜ柵からこんな意味が出るのか、必然性がない。
用に「犠牲として用いる」という意味はあり得ない。意味とは「言葉の意味」であって、言葉が使われる文脈からしか出ない。言葉が具体的文脈で使われる、その使い方が意味である。
古典における用の文脈を見よう。
①原文:四國無政 不用其良
 訓読:四国政無く 其の良を用ゐず
 翻訳:四方の国には政治がなく 善良な人を用いない――『詩経』小雅・十月之交
②原文:節用而愛人。
 訓読:用を節して人を愛す。
 翻訳:費用を節約して、人民を愛する――『論語』学而
③原文:禮之用、和爲貴。
 翻訳:礼の用は、和を貴しと為す。
 翻訳:礼の働きは、和が大切である――『論語』学而

①は使って働かせる意味、②は使って費やす意味、③は役に立つこと(働き)の意味で使われている。これを古典漢語ではdiung(yiung)(呉音でユウ、漢音でヨウ)という。これを代替する視覚記号しとして用が考案された。
用の字源については諸説紛々で定説がない。鐘、塀、器、桶、亀甲の形などの説がある。加藤常賢は「牛羊の犠牲を繫留する牧場の木橛の垣の形」(『漢字の起源』)とする。白川説もこれに近い。しかしどの説も「もちいる」とは結びつきそうもない。藤堂明保は「板に棒で穴をあけ通すことで、つらぬき通すはたらきをいう。転じて、通用の意となり、力や道具の働きを他の面にまで通し使うこと」とする(『学研新漢和大字典』)。この説が分かりやすい。藤堂はまた用の語源を究明している。用のグループ(用・庸・傭)は東のグループ(東・棟・凍)、同のグループ(同・筒・洞・桐)、童のグループ(童・衝・撞・鐘)、甬のグループ(甬・通・痛・踊・涌・勇)、重のグループ(重・動・腫・種)、𧶠のグループ(瀆・贖)などと同じ単語家族に属し、TUNG・TUKという音形と、「突き通る」という基本義をもつと述べている(『漢字語源辞典』)。
字源に立ち返ると、用に「ᅤ」の形が含まれており、これは同にも含まれている。中空の筒形を示す図形である。「ᅤ」に「ᅡ」を合わせたのが用の古い形(甲骨文字・金文)である。したがって用は筒形のものに上から下に縦棒を突き通す状況を表す象徴的符号と解釈したい。この意匠によって「突き通す」というイメージを示している。これは縦に↓の形に突き通すというイメージだが、視点を横に変えると、横に→の形に貫き通すというイメージになる。イメージとしては方向を問わない。「突き通す」「貫き通す」というコアイメージから、目的の所にスムーズに力や効果が通っていくようにする(あるものを使って働かす)という意味が実現される。
用とは「力や働きを対象に及ぼして、それを働かせるように使う」という意味である。上記の①②③はこの意味が具体的文脈で実現されたものである。