「庸」

白川静『常用字解』
「会意。庚と用とを組み合わせた形。庚は午(杵)を持って穀物をつき、脱穀・精白する形。用は木を組んで作った柵も形で、そこに土を入れ、杵でつき固めて墉かきを作ることを庸といい、“かき”の意味となる。用と通用して“もちいる”の意味となる。庸はのち“つね、なみ、おろか”などの意味に用いる」

[考察]
用と庸は明らかに音のつながりがあるから形声のはず。白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴である。本項では形声ではなくあえて会意としている。
「かき」と「もちいる」と「つね」の間に何の関係があるのか。白川漢字学説には形声の説明原理がないから、言葉の深層構造への視線もなく、コアイメージという概念もない。コアイメージを捉えればこれらの三つ意味をつなぐことができるのである。まず古典の用例を見る。
①原文:舜生三十徵庸。
 訓読:舜生まれて三十にして徴庸せらる。
 翻訳:舜は三十歳になってから召されて用いられた――『書経』舜典
②原文:中庸之爲德也其至矣乎。
 訓読:中庸の徳為るや其れ至れるかな。
 翻訳:中庸は道徳として最高だ――『論語』雍也
③原文:因是謝人 以作爾庸
 訓読:是の謝人に因りて 以て爾の庸を作れ
 翻訳:謝の人たちとたずさえて お前の城を作るように――『詩経』大雅・崧高

①は全体に力を及ぼして働かせる意味、②は全体に平均して通用する意味、③は満遍なく突き固めた城壁の意味で使われている。これを古典漢語ではdiung(yiung)(呉音でユウ、漢音でヨウ)という。これを代替する視覚記号しとして庸が考案された。
庸は「用(音・イメージ記号)+庚(イメージ補助記号/限定符号)」と解析する。用は「突き通す」というイメージを示す記号である(1817「用」を見よ)。庚は「干(太い棒)+廾(両手)」を合わせて、脱穀するのに用いる固い木の棒を手に持つ情景。これによって「固く筋が通っている」というイメージを示す(566「康」を見よ)。庚はまた「固い心棒」のイメージや、「突き通る」「突き通す」というイメージを表すこともできる。庚は限定符号の働きも兼ねる。限定符号は意味領域を指示するほかに、図形的意匠を作るための場面設定をする。棒を使う工作・労働の場面が設定される。したがって庸は棒で突き通して満遍なく均す情景を暗示させる。この意匠によって「全体に満遍なく突き通って及ぶ」というイメージを表すことができる。このイメージが具体的文脈では「全体に満遍なく力や効力を及ぼして、その働きを発揮させる」という意味が実現される。これが上の①である。また人を使って働かせるという意味にも展開する。これは後の傭(やとう)という字になる。
また「全体に満遍なく突き通る」というイメージから、全体に平均して行き渡るというイメージが生まれる。これが中庸の庸の使い方である。平均化されるから、代わり映えがない、普通、なみ、平凡という意味にもなる。これが凡庸の使い方である。
古典では③のような意味もあった。棒を使って満遍なく均すことから、城壁などの工作という具体的な意味が付与された。