「欲」

白川静『常用字解』
「形声。音符は谷。谷は俗・容・浴の字に含まれる谷で、渓谷の谷とは異なる字である。容は祖先を祭る廟の中にᄇ(祝詞を入れる器の形)を供えて祈り、そのᄇの上にかすかに現れた神霊の姿である。その姿を見たいと思うことを欲といい、“ほっする、ねがう”の意味となる」

[考察]
字形の解釈に疑問がある。これについては1822「容」、1838「浴」でも述べたので繰り返さない。
また容に「祝詞の上に現れた神霊の姿」という意味があるだろうか。欲に「その神霊の姿を見たいと思う」という意味があるだろうか。すでに神霊が姿を現しているからには、その姿を見たいという意味が生じるだろうか。
意味とは「言葉の意味」であって字形の意味ではない。図形的解釈と意味を混同するのは白川漢字学説の全般的特徴である。 
具体的文脈における言葉の使い方が意味である。欲は古典に次の用例がある。
 原文:欲報之德 昊天罔極
 訓読:之(これ)が徳に報ゐんと欲すれど 昊天極罔(な)し
 翻訳:父母の恩恵にお返ししたいけど 天が乱れて定めない――『詩経』小雅・蓼莪
欲は何かをほしいと願う意味で使われている。これを古典漢語ではgiuk(yiuk)(呉音・漢音でヨク)という。これを代替する視覚記号しとして欲が考案された。
欲は「谷(音・イメージ記号)+欠(限定符号)」と解析する。谷については1838「浴」から再掲する。谷は「たに」であるが、実体ではなく形態や機能に重点がある。谷は形態的にはくぼんだ所であるから、「くぼみ」「穴」というイメージがある。機能的には水を受け入れる所だから、「ゆったりと受け入れる」というイメージにもなりうる。「くぼみ・穴」→「中に入れる」はスムーズにイメージが転化する。 (以上、1839「浴」の項)
谷は「くぼんだ所にゆったりと受け入れる」というイメージを示す記号。欠は大口を開けた人の形で、身体的行為や動作に関わることを示す限定符号。したがって欲は空っぽな腹や心に何かを入れて満たそうとする状況を暗示させる。この意匠によって、こちらに欠けているものを満たそうと願い求めることを意味する語を表記した。