「乱」
正字(旧字体)は「亂」である。

白川静『常用字解』
「会意。𤔔らんと乙とを組み合わせた形。 乙は骨べらの形。𤔔はᕼ(冂の形で、糸を巻く糸架いとかせ)に幺(糸)をかけ、その糸が紊みだれているので、上下に手(上は爪、下は又。ともに手の形)を加え、ほぐそうとしている形で、“みだれる”の意味となる。その糸のみだれを骨べらで解いて直すことを亂といい、“おさめる”の意味となる。𤔔が“みだれる”、亂が“おさめる”の意味であるが、のち誤って亂に𤔔の“みだれる”の意味を加えたので、亂は“おさめる”と“みだれる”の意味に使われるようになった」


[考察]
𤔔はランの音なので当然亂と音のつながりがある。だから形声のはず。白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴なので、本項では形声を避け、敢えて会意としている。
亂には「おさめる」と「みだれる」の意味があるというのは、その通りである。しかし亂の「みだれる」の意味は𤔔の意味を誤って加えたものだという。これは間違った見方である。「おさめる」と「みだれる」は盾の両面の関係である。「まなぶ(学)」と「おしえる(教)」、「うける(受)」と「さずける(授)」など、漢語では両義性のある言葉がある。文字では別でも言葉としては盾の両面である。𤔔と亂もこの関係であり、𤔔と亂は言葉としても同一である。
古典における亂の用例を見る。
①原文:亂我心曲
 訓読:我が心曲を乱す
 翻訳:私の心の隅までかきみだす――『詩経』秦風・小戎
②原文:予有亂臣十人。
 訓読:予に乱臣十人有り。 
 翻訳:私には乱れた天下を治める家来が十人いる――『書経』無逸

①は秩序ある事態がもつれる意味、②をもつれを治める意味で使われている。これを古典漢語ではluan(呉音・漢音でラン)という。これを代替する視覚記号しとして亂が考案された。
亂は「𤔔(ラン)(音・イメージ記号)+乙(イメージ補助記号)」と解析する。𤔔についてはすでに740「辞」でも述べているので再掲する。
辭は「𤔔+辛(刃物、断ち切る)」に分析する。𤔔は「爪(下向きの手)+幺(糸)+冖(枠を示す符号)+又(上向きの手)」を合わせて、上と下から力を加えて、糸を糸巻に収めようとする情景を設定した図形である。亂(乱)に含まれている。収めようとして枠からはみ出てもつれる事態が亂である。だから𤔔は「枠をはみ出ないように収める(治める)」と「もつれて枠をはみ出る」という二つのイメージがある。辭では後者のイメージから「もつれる」というイメージを表す記号として使われている。辭はもつれた事態をばさばさと断ち切って通りをよくする状況を暗示させる図形。この意匠によって、人間関係において絡み合った事態やもつれた関係を解いて意思を疎通させるもの、すなわち言葉を辭で表すのである。 (740「辞」の項)
このように𤔔は「枠をはみ出ないように収める(治める)」と「もつれて枠をはみ出る」という相反するイメージを示す記号である。二つのイメージは同時に同じ言葉に内在する。乙は「押さえつける」というイメージがある(102「乙」を見よ)。ここではイメージ補助記号として使われている。したがって亂はもつれて枠からはみ出ないように押さえる状況を暗示させる。この意匠によって「もつれて枠をはみ出る」と「枠をはみ出ないように治める」の二つの意味をもつluanを表記した。
乱は事態がもつれて枠(秩序)をはみ出るという意味で、日本語の「みだれる」に当たる。乱雑・混乱の乱はこれである。世の中の秩序がなくなる意味はその転義。乱世・戦乱の乱はこれである。また「枠をはずれて、むやみに」という意味を派生する。これが乱用の乱である。