「了」

白川静『常用字解』
「象形。ものを拗じる形。了の形声の字は繚(まとう)。了戻はまた繚戻という。糸がもつれて、ここで終わるので、“おわる”の意味となる」

[考察]
了を繚と同字と見て、繚から意味を引き出している。繚は糸がもつれて、ここで終わる→「まとう」という意味になり、また「おわる」という意味になったというのであろう。しかし繚は「まつわる、からまる」「めぐらす、めぐる」などの意味であって、「おわる」という意味にはならない。「糸がもつれて、ここで終わる」から「おわる」の意味になるという意味転化は必然性がない。了と繚は直接の関係はない。ただし語源的には関係がある。
まず了の古典における用例を見る。
①原文:食了洗滌。
 訓読:食し了りて洗滌す。
 翻訳:食べ終わって器を洗う――王褒・僮約(『漢魏六朝百三家集』巻六)
②原文:事總則難了。
 訓読:事総(す)ぶれば則ち了し難し。
 翻訳:事は締めくくろうとすれば分かりにくくなる――『後漢書』仲長統伝

①は事態が決着する意味、②ははっきり分かる意味で使われている。了は漢代以後に現れる字で、当時の漢語でlɔg(leu)(呉音・漢音でレウ)という。これを代替する視覚記号として了が考案された。
語源について藤堂明保は尞のグループ(僚・繚・瞭)や労・料などと同源で「ずるずると続く、からげる」という基本義があるという(『漢字語源辞典』)。また字形と意味について「物がもつれてぶらさがるさま、また、ぶらさがった物をからげるさまを描いた象形文字。もと繚(ずるずるともつれる)と同系のことば。転じて、長く続いたものをからげて、けりをつけるの意となる」と述べる(『学研漢和大字典』)。
改めて字源を見る。きわめて単純な図形で何とでも解釈がつく。『説文解字』では手のない子の形と見たり、 陳独秀に至っては男根の形と見る。白川は「ものを拗る形」とする。諸説紛々である。しかしこれらの説ではなぜ「おわる」の意味になるのか、合理的に説明ができない。何の形かにこだわると行き詰まってしまう。象形ではなく象徴的符号という概念を導入する。了の上部は〇のような形で、その下部に縦線が下がっている。この図形を「もつれて絡まった状態が段々と解けていくありさま」を示す象徴的符号と見る。漢字は図形であり、静止画像であって、元来動きが表現できない。ただし動きを表現した図形もあると考える。例えば危険の危は「人+厂(がけ)+卩(背をかがめる人)」で、上から下のほうに動きを読む。崖の上の人が崖の下に落ちてかがまっているという一連の動きを見る。同じように了では、もつれた状態が解けて下のほうに段々と下がってすっきりした状態になると見る。この図形的意匠によって「もつれが解ける」というイメージを表そうとするのである。
「もつれが解ける」というイメージは「もつれが解けてはっきりとけじめがつく」というイメージに展開する。これが上記の①の意味を実現させる。また「あいまいな状態にけじめがついてはっきりする」というイメージに転化する。これが上記の②の意味である。終了・完了の了と了解・了察の了は語の深層構造におけるイメージ(コアイメージ)で結ばれているのである。