「量」

白川静『常用字解』
「象形。上に注ぎ口のついている大きな橐ふくろの形。量の字形に含まれる東は、上下を括った橐の形で、橐のもとの字である。東の上に穀物などの注ぎ口をつけた形が量で、さらに下に土の形の錘を加えた。それで“ふくろではかる、はかる、はかり、ますめ”の意味に用いる」

[考察] 
字形の解剖にも意味の取り方にも疑問がある。象形とあるが、東(ふくろ)と注ぎ口の形と土(錘)の三つから成るようだから会意文字であろう。袋の下に錘をつけて、なぜ「袋ではかる」という意味が出るのか、疑わしい。「ますめ」とあるから重さではなく、容積をはかるのではあるまいか。上文の後に、「東(橐)の下に錘のように土を加えた形が重で、合わせて重量(重いこと。おもさ)という」と述べているが、この場合は字形に重が含まれているとする。字形の分析がダブルスタンダードである。
字形から意味を導くのが白川漢字学説の方法であるが、図形的解釈と意味を混同する傾向がある。量に「袋ではかる」という意味はない。古典における量の用例を見る。
①原文:量敵而後進。
 訓読:敵を量りて後進む。
 翻訳:敵の兵数を計算してから前進する――『孟子』公孫丑上
②原文:唯酒無量、不及亂。
 訓読:唯酒は量無きも、乱に及ばず。
 翻訳:[私は]飲酒の量は決めていないが、乱れるほどは飲まない――『論語』郷党

①は物の軽重・多少・大小などをはかる意味、②ははかり・ますめ、また、はかって見積もられる中身や多少・大小の程度(かさ、分量)の意味で使われている。これを古典漢語ではliang(呉音でラウ、漢音でリャウ)という。これを代替する視覚記号として量が考案された。
語源について『釈名』(漢代の語源辞典)に「良は量なり」とあり、古人は良と量の同源意識をもっていた。また糧の異体字に粮があるように量と糧も同源の意識があったようである。量・糧は良の語源から発展した語と考えてよい。良は穀粒を研ぐという日常生活の一場面から発想された語である。穀粒を研ぐ行為から「汚れがなく澄み切っている」というイメージを捉えて、混じり気がなく質がよいという意味が実現された(1880「良」を見よ)。
穀粒を研ぐ行為は食糧として食べることにつながる。穀粒を食べることの前提にあるのが研ぐ行為であり、またその前に食べる分だけ量る行為がある。要するに穀粒を量る、穀粒を研ぐ、穀粒を食べるという一連の過程があり、それぞれの行為に関わる語が良・量・糧なのである。
改めて字源を見る。楷書の量は分析困難だが、金文を見ると、「⦿+重の略体」に分析できる。⦿は篆文では曰に変化している。その下部にあるのは重の略体である。重は「人+東+土」から成るが、人が省略されている。では⦿は何か。これは良に含まれている曰の部分と同じある。つまり⦿や曰は良の略体なのである。良と量が関係があるのは語源だけではなく字源にも反映されていた。したがって量は「良の略体(音・イメージ記号)+重の略体(イメージ補助記号)」と解析する。良は「汚れがなく澄み切っている」というイメージであるが、これは穀粒を研ぐ行為から発想されたので、穀粒そのものに視点を置くこともできる。かくて量は食べる分の穀粒の重さをはかる状況を暗示させる図形である。図形自体に「はかる」という行為は含まれていないが、上記のような一連の過程の一つである「穀粒をはかる」ことを量で表現したのである。ただし量の具体的文脈における使い方は上の①である。