「励」
正字(旧字体)は「勵」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は厲。厲は厂と萬(万)とを組み合わせた形で、厂は山の崖の形、萬は蠆さそりの類であろう。 崖の下の秘密の所で蠆のような虫を使うまじないの儀礼を行うことを厲といい、はげしい、はげむ、つよい、わるいなどの意味となる。力は耒すきの形であるから、耒で田畑を耕すことにはげむことを勵といい、“はげむ、はげます”の意味となる」

[考察]
 字形の解釈にも意味の取り方にも疑問がある。厲は「崖の下の秘密の所で蠆のような虫を使うまじないの儀礼を行う」という意味があるだろうか。サソリを使う呪いの儀礼とは何のことか。また勵は「耒で田畑を耕すことにはげむ」という意味があるだろうか。こんな意味はない。意味はただ「はげむ」である。力を鋤と見るから農耕が出てくる。1657「勉」では「農業の仕事につとめる」、1753「務」では「農耕につとめる」、1364「努」では「しもべが農耕に勤めはげむ」、387「勤」では「農耕につとめて飢饉を免れようと努力する」の意味とする。「つとめる」をすべて農耕と関連づけている。勉・務・努・勤の違い、またそれらと励の違いが曖昧模糊としている。
白川漢字学説は字形から意味を導くことを方法論とするから、意味とは何かが分からない。意味とは「言葉の意味」であって「字形の意味」ではない。意味は字形から出るのではなく、言葉の使われる文脈から出るものである。古典における励の使い方を見る。
 原文:赦過遺善則民不勵。
 訓読:過ちを赦し善を遺(わす)るれば則ち民励まず。 
 翻訳:[君主が]罪あるものを許し、恩を施し忘れたら、人民ははげまなくなるだろう――『管子』法法 
勵は強い力を出してつとめる(はげむ) の意味で使われている。また、相手を力づけてやる(奮い立たせる、はげます)の意味もある。これを古典漢語ではliad(推定。呉音でライ、漢音でレイ)という。これを代替する視覚記号として勵が考案された。
勵は「厲レイ(音・イメージ記号)+力(限定符号)」と解析する。厲は「厂+萬」に分析する。萬はサソリを描いた図形である(1740「万」を見よ)。 ただしサソリという実体に重点があるのではなく形質や生態に重点がある。サソリは猛毒をもつので「激しい」というイメージを表すことができる。厂は崖の形であるが、石にも含まれており、石と関係のあることを示す限定符号ともなる。厲は「萬(イメージ記号)+厂(限定符号)」と解析する。激しく摩擦させて刃物を研ぐ石を暗示させる図形である。礪(といし)の原字。厲は「激しい」というイメージを示す記号となる。力は「ちから」と関係があることを示す限定符号。したがって勵は激しく力をこめることを暗示させる。