「零」

白川静『常用字解』
「形声。音符は令。説文に“餘雨なり”、玉篇に“徐雨なり”とあり、“雨がしずかにふる、ふる”の意味に用いる。(・・・)非常に小さいこと、わずかなことを零細といい、“わずか”の意味にも用いる。数のゼロの意味にも用いる」

[考察]
白川漢字学説には形声の説明原理がなく会意的に説くのが特徴であるが、本項では令から会意的に説明していない。令を「深い儀礼用の帽子を被り、跪いて神託を受ける人」とするから、令から零の意味を説明できないのは当然であろう。だから字源を放棄せざるを得ない。
零は古典では次のように使われている。
①原文:靈雨既零
 訓読:霊雨既に零つ
 翻訳:やがて恵みの雨は降った――『詩経』鄘風・定之方中
②原文:惟草木之零落兮 恐美人之遲暮
 訓読:惟(ただ)草木の零落し 美人の遅暮を恐る
 翻訳:草木もやがて枯れ落ちるように いつかは美人も年を取るのが恐い――『楚辞』離騒

①は雨が降る意味、②は草木の葉などが落ちる意味で使われている。これを古典漢語ではleng(呉音でリヤウ、漢音でレイ)という。これを代替する視覚記号として零が考案された。
零は「令(音・イメージ記号)+雨(限定符号)」と解析する。令は「▯-▯-▯-▯の形に点々と(数珠つなぎに)並ぶ」というイメージがある(1903「令」、1909「鈴」を見よ)。雨はあめと関係があることを示す限定符号。したがって零は雨が点々と落ちてくる情景を暗示させる。雨以外に水滴や草木の葉などが点々と落ちるという意味にも展開する。
零に「徐々に、静かに」という意味素は含まれていない。「点々と、数珠つなぎに」というイメージは含まれている。
「点々」のイメージの点だけに焦点を合わせると、「わずか、小さい」 のイメージを生む。半端、はしたという意味の零細の零の使い方がこれである。また「わずか」の窮極は「無」になる。何もないという意味を派生する。近代になって西洋数学が伝わり0という数字とともにゼロの概念が起こると、零をゼロの意味で使うようになった。最近では「〇」という図形で0を表すようになり、とうとう「〇」を漢字に昇格させた。漢字の条件は形・音・義の三点セットである。「〇」はこの形と、零から借用したレイ(líng)の音と、ゼロという意味を持ち、漢字の体裁を整えている。日本でも「〇」を漢字として登録する漢和辞典が現れている(『学研学習用例漢和辞典』『学研現代標準漢和辞典』『漢字源』など)。
「〇」を漢字とするのに抵抗感があるのは、漢字は一般に方塊字と言われるように四角い形が多いからであろう。しかし「日」の古字は〇の中に点を入れた形であったし、「員」(円の原字)の上の「口」は古くは〇になっていた。〇を含む漢字は多かった。
一方、古代の中国数学では、計算の際、十進法の桁を上がらせる場合に空位を示すために〇の記号を使った。これはあくまで空位記号であってゼロという数字ではなかったが、近代のゼロの概念の登場とともに、空位記号とゼロ数字が結びついたのは必然性があったといえる。