「隷」

白川静『常用字解』
「会意。祟すいと巾きんと又とを組み合わせた形。隷はその変化した字形である。祟はたたりをもたらす霊力を持つ獣の形。それに巾きれをふれて、その祟たたりを巾に移し、その巾を手に持たせる形が隷で、巾で祟を移された者をいう。祟を移した巾を持たせることによって、その人の身に祟が“つく”というのが隷のもとの意味」

[考察]
字形の解剖にも意味の取り方にも疑問がある。隷と隸の字体があるが、どちらにも巾は含まれていない。前者は「祟+隶」、後者は「柰+隸」である。祟りをもたらす獣に巾(きれ)を触れるという解釈は出そうにない。そもそも祟は「出+示」から成る会意文字であって、象形文字ではない。「たたりをもたらす霊力を持つ獣の形」という解釈は全くの臆測に過ぎない。1194「逮」でも問題点を指摘した。
また隷を「(祟りをもたらす獣に巾を触れて)巾で祟りを移された者」という意味に解するが、こんな言葉、こんな意味がありうるだろうか。疑わしいことである。
字形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法であるが、図形的解釈をストレートに意味とする間違いを犯している。図形的解釈と意味は決して同じではない。意味とは「言葉の意味」であって、言葉の使われる文脈からしか出てこない。古典における隷の用例を見る。
 原文:以隷相尊。
 訓読:隷を以て相尊ぶ。
 翻訳:[貴賤を無視して]しもべのような卑しい者を尊重する――『荘子』斉物論
隷は使役される者(しもべ、奴隷)の意味で使われている。これを古典漢語ではlād(lei。呉音でライ、漢音でレイ)という。これを代替する視覚記号として隷が考案された。
『説文解字』では「隸は附著なり。隶に従ひ、柰の声」とあり、隸が本字で、隷を異体字としている。
まず隸の字源について。「柰(イメージ記号)+隶(イメージ補助記号/限定符号)」と解析する。柰は「示(何かをその上に載せる土台。イメージ記号)+木(限定符号)」に分析する。他の木を育てるための土台をなす木というのが図形的意匠で、これによって中国在来種のイヌリンゴを表す。柰(奈)は耐・能などと同源の語で、「粘り強い」というイメージがある。寒さに耐える木というのが命名の動機である。隶は「尾の略体+又(手)」の組み合わせで、しっぽ(後ろ)に手が届く状況を設定した図形である。逮捕の逮の原字で、「捕まえる」というイメージと、「捕まえた者」に関わることを示す記号である。かくて隸は捕まえて粘り強く使役させる者を暗示させる。
次に隷の字源について。「祟(イメージ記号)+隶(イメージ補助記号/限定符号)」と解析する。祟は「出(音・イメージ記号)+示(限定符号)」に分析する。出は「ᐱの形に突き出る」というイメージがあり、視点を変えると「ᐯの形に下方にへこむ」というイメージにもなる。示は神と関係があることを示す限定符号。祟は罪を犯したため神の怒りでへこまされ、ぺしゃんこにさせる状況を示し、「たたる」「たたり」を表す。かくて隷は祟りを受けた罪人を捕まえる情景を想定し、この意匠によって奴隷を表す。