「握」

白川静『常用字解』
「形声。音符は屋。屋は殯(かりもがり。本葬する前にしばらくの間遺体を棺に納めて安置すること)のために板で作った小屋である。屋に狭く小さくまとめるの意味がある。指を折り曲げて強く持つことを握といい、‘にぎる’ の意味に用いる」

[考察]
白川漢字学説では形声文字の説明原理がないので、会意的に説く。もし会意で説けないならばお手上げ(解釈不能)である。
屋はかりもがりの小屋で狭いから、屋には「狭く小さくまとめる」という意味があるというが、 だいたい屋に「かりもがりの小屋」という意味も、「狭く小さくまとめる」という意味もない。ともかくそんな意味を想定して、握は「指を折り曲げて強く持つ」という意味だと解釈する。
しかし「狭く小さくまとめる」から「指を折り曲げて強く持つ」という意味への展開は明確とは言い難い。指を狭めてまとめると折り曲げることになるのだろうか。

握は非常に古い語で、すでに『詩経』に用例がある。
①原文:握粟出卜 自何能穀
 訓読:粟を握り出でて卜す 何に自(よ)りて能く穀(い)きん
 翻訳:粟を握って占いを立てた 「どうしたら生きていけるか」――『詩経』 ・小雅・小宛
②原文:視爾如荍 貽我握椒
 訓読:爾を視ること荍(あおい)の如し 我に握椒を貽(おく)れ
 翻訳:アオイのようにかわいいお前 俺に一握りのサンショウをおくれ――『詩経』陳風・東門之枌

日本の古辞書は「つかむ」「にぎる」の訓をつけている。古典漢語の・ŭk(握)は「にぎる」に当たる。日本語の「にぎる」はどんな動作か。『岩波古語辞典」では「手の指を内側に曲げて、しっかりと保つ」の意味という。
古典漢語・ŭkはどんな動作か。この聴覚記号を図形化するのに屋を用いたのは屋と握の同源意識があるからである。屋が深層(コア)のイメージを提供する記号である。では屋とは何か。屋も『詩経」に用例がある。
 原文:誰謂雀無角 何以穿我屋
 訓読:誰か謂はん雀に角無しと 何を以て我が屋を穿つ
 翻訳:スズメに角がないなんて言わせんぞ 屋根のてっぺんに穴あけたのに――『詩経』召風・行露

屋は屋根の意味で使われている。「屋」という図形(文字)では実体を表しているが、「握」では実体は背景に退き、機能や属性が前面に出てくる。屋根の機能とは何か。それは上に覆いかぶさることである。屋根と建物の本体の間はびっしりと隙間がない。隙間なく覆いかぶさるというのが「屋」の根底にあるイメージである。屋と握の同源関係はこのコアイメージを媒介とする。「隙間なく覆いかぶさる」というコアイメージが具体的文脈で実現されると、一つは「やね」という実体の意味、もう一つは「指を隙間無なく物に覆いかぶせてつかむ」という動作の意味が実現されるのである。実はこれら二語だけではなく、渥・幄・齷なども造語される。これらはすべて一つの源から発する同源語のグループである。
握は「屋(音・イメージ記号)+手(限定符号)」と解析する。「屋」は「隙間なく覆いかぶせる」というイメージを示す記号(99「屋」を見よ)。したがって握は手を隙間なく物にかぶせてつかむ情景を暗示させる図形。この意匠によって、古典漢語の・ŭkを表記する。