「衣」

白川静『常用字解』
「象形。襟もとを合わせた衣の形。衣は霊の依るところと考えられ、依の字も、霊が衣に憑り添うことを示す字である」

[考察]
衣が象形文字であることについて異説はない。問題は衣の機能の捉え方である。白川は「霊の依るところ」というが、これは日本の民俗学の影響ではあるまいか。依の項では次のように述べている。
「衣には人の霊が憑りつく(乗り移る)と考えられたので、霊を授かるとき、霊を引き継ぐ儀礼をした。それで‘よる、よりそう’ の意味となる。わが国の神話にみえる‘真床襲衾’といわれるもの、天皇即位後に行われる大嘗会のときに天皇が身につける‘天の羽衣’が、霊が憑りつく衣である」
日本神話を証拠に挙げているが、中国の文献では衣を霊の憑りつくものとする証拠はなさそうである。漢字の独自の解釈を根拠にして、逆に古典の衣や依をそのような意味で解釈しているように見える。

漢字の成り立ちはただ字源だけでは中途半端である。語源を絡めて初めて完結する。では衣の語源は何か。「衣は隠なり」というのが古代の普遍的な語源意識である。古人の語源意識は言語学以前の素朴なものではあるが、妥当なものも多い。古典漢語の語感に対しては古人の意識は参考になる。
「衣は隠なり」は意味を述べたものではなく、二つの語の同源関係を述べたものである。つまり衣と隠(かくす)が同源であり、共通のイメージを持つということである。それは衣の機能の面から、「ころも」を意味する古典漢語・iərが生まれ、この語は「かくす」を意味する・iənと同源だということである。衣の機能は肌身を覆って隠すことにあると考えられて、「衣は隠なり」という語源説が生まれた。これに異論の余地はない。
言語学的に語源を探求したのは藤堂明保である。藤堂は衣・依・隠・穏・殷・慇・湮・煙を一つの単語家族としてまとめ、これらは・ÊR、・ÊNという語形と、「かくす」という基本義を持つ語群としている(『漢字語源辞典』)。