「依」

白川静『常用字解』
「会意。人に衣を添えた形。衣には人の霊が憑りつく(乗り移る)と考えられたので、霊を授かるとき、霊を引き継ぐときに、霊が憑りついている衣を人により添えて、霊を移す儀礼をした。それで‘よる、よりそう’ の意味となる。わが国の神話にみえる‘真床襲衾’といわれるもの、天皇即位後に行われる大嘗会のときに天皇が身につける‘天の羽衣’が、霊が憑りつく衣である」

[考察]
まず問題は会意である。衣と依は明らかに同音である。だから衣が音符の形声字のはず。しかし白川漢字学説は形声の説明原理を持たないので、すべて会意的に解釈する。だから形声ではなく会意とされている。 
会意はAの文字とBの文字を組み合わせて、意味もAとBを合わせた意味とする手法である。しかし矛盾が起こる。例えば明は日と月を組み合わせた字だが、「日と月」とか、「月日(時間)」といった意味にならず、「あかるい」の意味である。AとBを超えてCという別の意味を作り出すのが会意である。ただし「意味を作り出す」というのは語弊がある。意味は形から出るのではなく、言葉にあるのである。したがって「あかるい」を意味する言葉を「日」と「月」の組み合わせによって、象徴的にあかるさを暗示させる、というのが正しい。
次に問題は衣に人の霊が乗り移るとされることである。衣に乗り移る霊とは何だろうか。漢字の「霊」は人知を超えた神秘的なものというぐらいの意味。自然界の精霊や、人間の「たましい」(魂魄、霊魂)という観念は古代にあったようである。衣に乗り移る霊とは霊魂のことか。霊魂とは死んだ人の肉体から離れる魂であろう。これが衣に乗り移るとは想像できない。
「霊を授かる」「霊を引き継ぐ」というのもよく分からない。天や神が人間に霊を授けるとすれば、人間に生命を与えることになるが、その霊が体ではなく衣によりつくというのが理解しがたい。

白川は衣に霊が憑りつく証拠として日本神話を挙げているが、これを古代中国の習俗に当てはめるのも問題がある。漢字を習俗的に解釈し、これを習俗の根拠とし、また、習俗に漢字の解釈でもって根拠とする。堂々巡りの論である。
漢字は古典漢語を表記する手段である。聴覚記号を視覚記号に変換させる手段である。だから漢字を見る眼はまず言葉に向かわなければならない。依はどのように古典で使われているかを先に調べる必要がある。
 原文:魚在在藻 依于其蒲
 訓読:魚は在り藻に在り 其の蒲に依る
 翻訳:魚を水藻に住まい、ガマの陰に身を寄せる――『詩経』小雅・魚藻

具体的文脈で使われた依の意味は「物陰に隠れて身を寄せる」という意味である。この意味を持つ古典漢語・iərを表記するのが依という図形である。なぜ衣をもってきたのか。それは衣と依が同源関係にあり、深層構造におけるイメージ(コアイメージ)が共通だからである。
衣のコアイメージは11「衣」で述べた通り「肌身を隠す」である。これは衣(ころも)の機能から生まれるイメージである。衣以外のものに身を隠す事態も当然ありうる。上の用例では魚がガマという植物に身を隠している。一般に何かに身を隠してそれに寄り添う事態を古典漢語で・iərという。これは衣という語の新たな展開といえる。
人の陰に寄り添ってその人に頼るという意味にも展開する。これが依頼の依である。