「委」

白川静『常用字解』
「会意。禾は禾(いね)の形をした被りもので、稲魂(稲に宿る神霊)の象徴であろう。禾を頭に被って舞う女の姿である。田植のとき、ゆたかに稔ることを願って田の舞をするが、そのとき男女二人で舞う。男の舞う姿を示す字は年。男は立って舞うが、女は低い姿勢でしなやかに舞うので、委には‘ひくい、したがう、まかす’ などの意味がある。また‘しなやか’なことから、‘よわよわしい、やつれる’の意味になる」

[考察]
禾は稲や粟を表す字で、稲の形をした被り物というのは突飛な解釈である。またそれを稲魂の象徴というのも奇妙である。稲魂というのは一体何か。存在するとは思えない。「であろう」とあるように推測に過ぎず、何の証拠もない。田植のときに男女二人が頭に禾を被って田の舞をするというのも、ますます空想の世界である。
形から意味を引き出すのは白川漢字学説の特徴である。男が舞うことを表す年に対し、委は女が舞う姿なので、「ひくい、したがう、まかす」「しなやか」などの意味が出たという。形の解釈をもって意味としている。
白川漢字学説では音と意味の定義がない。音は漢字の読み方としか考えていないようである。音は漢字につけられた符牒や呼び方(名称)ではない。漢語(古典漢語)の読み方である。言語学的に言えば、記号素の二要素のうちの音声部分である。また意味はその要素の意味部分(概念、イメージ)である。意味とは形の意味ではなく、語の意味である。意味は何によって分かるのか。具体的文脈にどう使われているかで分かる。文脈がなければ意味は分からない。

委は古典でどのように使われているのか。これを調べるのが先である。
 原文:子皮以爲忠、故委政焉 。
 訓読:子皮以て忠と為す、故に政を委(ゆだ)ぬ。
 翻訳:子皮(人名)はまじめだったので、彼に政治をまかせたのです――『春秋左氏伝』襄公三十一年

「自分ではやらないで他人にまかせる(ゆだねる)」というのが委の使い方である。これを意味する古典漢語が・iuarであり、この聴覚記号を図形化したのが委である。この図形はどんな意匠があるのか。これでやっと字源の問題になる。しかし字源の前提には語源がなければならない。語源のない字源説は半端であり、恣意的である。字源に歯止めをかけるのが語源である。
後漢の劉熙の著した『釈名』には「委は萎なり。萎蕤イズイ(柔弱のさま、しなだれる様子)として之に就くなり」とあるが、これは委の語源をよく捉えている。しなやかに相手に寄りつく(従う)ことが委だという。力がなく弱々しくしなだれるというイメージから、相手にしなだれて従うというイメージに転じる。これを図形として表したのが禾である。禾は稲などの穀物を表すために作られた字だが、稲の穂が実ってしなやかに垂れ下がる姿を描いている。字形だけでなく、稲を意味するɦuarという語のコアにこのイメージがある。丸く実って垂れ下がる穂によって稲の意味をもつ語を作り出したといえる。だからこの語には「丸い」というイメージと「しなやかに垂れ下がる」という二つのイメージがある。後者のイメージを用いて・iuarという語の図形化を行い、「禾(音・イメージ記号)+女(限定符号)」を合わせた委が成立する。

ここで注意したのは限定符号の働きである。限定符号とは意味領域を限定する符号であるが、意味と直接関わらないこともある。範疇を表す場合は意味領域を指示する。例えば鯉は魚の範疇を指示している。しかし委では女の範疇ではない。女は全く比喩である。この場合は比喩的限定符号である。女を限定符号とする理由は女の性質を利用したものである。niag(女)という漢語自体が「柔弱」のイメージをもつ語であるが、一般に「弱い」とか「柔らかい」という性質が想定される。だから委では比喩として女を利用し、「禾(音・イメージ記号)+女(限定符号)」を合わせた委でもって、女のように柔軟性があって逆らわず、相手の言いなりに従うという意匠を作り出したのである。この図形的意匠によって、「自分ではやらないで、他人にまかせる」を意味する・iarの視覚記号とした。委員の委もまさにこの意味である。
以上が語源を絡めた字源の説明である。