「威」

白川静『常用字解』
「会意。女に戉(鉞)を加えている形で、鉞には祓い清める力があると考えられた。廟で祖先の祭りをつとめる女子が聖器の鉞で清められ、おごそかな姿になっていることを示す字で、古くは威儀(姿と動作)を正すことをいい、‘おごそか’ の意味となる。のち、人を‘おそれさせる、おどす’の意味となる」

[考察]
鉞に祓い清める力があるというのがよく分からない。女に鉞を加える図も想像できない。鉞で女を斬る恰好をするのか、鉞を押し当てるのか、触らせるのか、単に女の側に置くのか、はっきりしたイメージが湧かない。「女」がなぜ廟で祖先の祭りをつとめる女に限定されるのかも分からない。
威の意味を、祖先を祭る女が鉞(聖器)で清められる→おごそかな姿になる→威儀を正すと展開させるが、威にこんな意味があるだろうか。これは形の解釈から導かれた意味である。形の解釈と意味を混同するのが白川漢字学説の特徴である。言語学の常識では、意味は形にあるのではなく言葉にある。言葉を表記するのが形(図形、視覚記号)である。白川の文字学は逆立ちしている。
形の解剖にも問題がある。『説文解字』以来「戌+女」と解剖されている。戌と戉は違う。戌はある種の武器の形で、鉞とは限らない。鉞の聖性を持ち出すために戌ではなく戉にしたように見える。

威は古典でどう使われているか、これを調べるのが先である。
 原文:征伐玁狁 蠻荊來威
 訓読:玁狁ケンインを征伐し 蛮荊来り威す
 翻訳:北のえびすを平らげて、南のえびすも恐れさす――『詩経』小雅・采

恐れさせる(おどす)というのが威の使い方、すなわち意味である。この意味の古典漢語が・iuərであり、この聴覚記号の表記に考案された視覚記号が威である。なお上の「蠻荊來威」は「來威蠻荊=來り蠻荊を威す」の倒置法である。
威は「戌+女」に分析できる。戌ジュツはある種の武器の形で、どんな武器であるかははっきりしない。ただ武器のイメージを用いただけと考えてよい。だから「戌(イメージ記号)+女(限定符号)」を合わせて、女を武器でおどす場面を作り出したといえる。限定符号を重視すると祖先を祭る女などといった解釈も生まれるが、おどす対象は女と限ったわけではない。ただ恐れさせる、屈服させる事態を造形するために女という弱い人間をおどす場面を用意したに過ぎない。この図形的意匠を目にして容易におどす場面が想像できればよいのである。

語源の検討が後になったが、「威は畏なり」という語源説が古くからある。王力(現代中国の言語学者)も威と畏を同源としている。これらに共通するコアイメージは「押さえつける」というイメージである。上から力で押さえつけると下のものは凹む。凹むことは屈服するというイメージにつながる。したがって、力で押さえて相手を凹ませる→屈服させ従わせる→恐れさせるという意味が生まれる。これを古典漢語では・iuərといい、威の図形で表記するのである。