「育」

白川静『常用字解』
「会意。𠫓は生まれた子どもの逆さまの形で、子どもが生まれ落ちる姿である。その下に月(肉)を加えて、人体であることを示す。育のもとの字は毓。子どもが生まれる形の育・毓には、子を‘うむ、そだてる、そだる’の意味がある」

[考察]
結論はよいが、説明の方向がおかしい。意味は形にあるのではなく、言葉にある。だから形から意味を引き出すと間違ってしまう。本項では「子を生む」の意味としたが、これは偶然一致しただけである。
では意味が形にないとしたら、どのようにして分かるのか。それは古典の文脈を調べればよい。育は次のような用例がある。
① 原文:婦孕不育。
 訓読:婦孕みて育せず。
 翻訳:女性が妊娠するが子を生まない――『易経』漸
②原文:載生載育 時維后稷
 訓読:載(すなわ)ち生まれ載ち育つ 時(こ)れ維(こ)れ后稷
 翻訳:子が生まれ育った その子の名は后稷コウショク――『詩経』大雅・生民

①では「子を生む」の意味、②では「(子が)そだつ」の意味で使われている。子を生む→子が無事にそだつは一連(一続き)の事態である。子を生む行為そのものは古典漢語でsăn(産)、あるいはsïeng(生)というが、生命が生まれて成長する一連の過程をyiokといい、育で表記される。ただしその過程の前半に視点を置くと「うむ」という意味、後半に視点を置くと「そだつ」という意味が実現される。

yiokという語が育という図形に変換される理由は分かりやすい。𠫓は「子」の逆さ文字である。頭を下にした形は生まれ出る子をイメージさせる。したがって「𠫓(イメージ記号)+肉(限定符号)」を合わせた育は、子が生まれる情景を表している。図形から意味を引き出すとただ「子を生む」になってしまうが、子が生まれ、生命を授かって無事にそだつという過程までyiokという語はカバーするのである。「うむ」と「そだつ」が同じ語である理由はまさにそこにある。