「因」

白川静『常用字解』
「会意。大は手足を広げて立つ人を正面から見た形。囗はむしろの形であるから、因は人がむしろの上に大の字になって寝ている形であり、‘むしろ、寝ござ’をいう。因は常に寝ござとして使い続けるものであるから、‘よる、たよる’の意味となり、常に用いることから‘もと’の意味となる」

[考察]
形から意味を導くのが白川漢字学説の特徴である。因に「むしろ」という意味はない。意味とは言葉の意味であり、古典に因を「むしろ」に使った用例がない。白川の導き出した「むしろ、寝ござ」は図形の解釈に過ぎない。図形的解釈と意味を混同していると言わねばならない。白川漢字学説ではすべての字解にこれが見られる。

ほかにも問題がある。転義の説明である。「むしろ、寝ござ」が原義で、「常に寝ござとして使い続ける」から「よる」の意味に転じ、「常に用いること」から「もと」の意味が生じたという。「常に寝ござとして使い続ける」とはどういうことか。むしろは他の用途はないのか。どうも変である。寝るのにむしろに頼るから「よる」の意味になったというのであろうか。いつも用いるから「もと」の意味になったというのもぴんと来ない。

形から意味を導くという方法に根本的な間違いがある。意味は形にはない。ではどこにあるのか。文脈における言葉の使い方にある。古典で因がどのように使われているかを調べるのが先である。
①原文:控于大邦 誰因誰極
 訓読:大邦より控(ひきさが)りて 誰に因り誰に極(いた)らん
 翻訳:大国から身を引いたら 誰に頼り誰のもとに行こうか――『詩経』鄘風・載馳
②原文:周因於殷禮。
 訓読:周は殷の礼に因る。
 翻訳:周王朝は殷王朝の礼を踏襲した――『論語』為政

①では「ある物事をもとにしてそれに頼る」という意味、②では「ある物事を踏まえてその通りにやる(従来の物事に従う)」という意味で使われている。これらの意味に共通するコアイメージはA(ある物事)を踏まえて(それを下敷きにして、それに乗っかって)Bという物事を行う」ということである。Aを下敷きにして踏まえ、それを根拠としてBを行うことを古典漢語では・ienという。この聴覚記号を視覚記号化して因が考案された。
ここから字源の話になるが、字源は語源を前提にしていることを忘れてはならない。「Aを下敷きにして(乗っかって)Bがその上で行われる」という状況をうまく表現できる図形が工夫されるのである。因はその意図に叶うであろうか。
因を分析すると、「囗+大」となる。四角い形の中に手足を広げた人がいる情景だが、人は立っているのではなく横たわっていると見てもかまわない。そうするとむしろ(茣蓙、マットなど)の上に人が寝ている情景と解釈することも妥当である。重要なのは「むしろ」という実体を意味するのではなく、状況や形態のイメージだけに焦点を当てるということである。A(ある物)の上にBが乗っかっているという状況である。Aという下敷きになるものを踏まえてBが何かをするという事態がポイントである。かくてむしろ(茣蓙やマット)の上に人が乗っているという具体的場面が設定され、「囗+大」を合わせた因が成立する。抽象的な意味は具体的な物や、具体的な場面・情景を設定することでしか表せない。ただし図形がストレートに意味を表すのではなく、近似的に暗示させるだけである。