「陰」

白川静『常用字解』
「形声。音符は侌イン。侌は云(雲の形で、雲気)に今(栓のある蓋で、おおうの意味がある)を加えて、気をおおい、とじこめるの意味をあらわす。阜は神が天に陟り降りするときに使う神の梯。陽はその神梯の前に日(玉)をおき、その玉の光をいう。陰はその光をとざし、神気をとじこめるの意味で、‘とざす、おおう、かげ、くもる’の意味に用いる」

[考察] 
形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。Aの文字とBの文字を組み合わせて、Aの意味とBの意味を兼ね合わせたものをCの意味とする。これは会意の方法である。だから形声ではなく会意とするのが白川漢字学説である。本項で形声というのは矛盾している。
ほかにもおかしい所がある。今に「おおう」の意味があるというが、そんな意味はない。また阜を「神が天に陟り降りする梯」とするが、そんなものが果たして存在するのか、甚だ疑問。また陽が神の前に玉をおき、その玉の光の意味、陰が玉の光をとざし、神気を閉じ込める意味というが、「(玉に)神気を閉じ込める」とはどういうことか、理解するのが困難である。陽や陰にそんな意味があるとは思えない。意味とは言葉の意味であって、実際に文脈に現れる意味である。
白川漢字学説では形の解釈と意味が混同されているとしか言いようがない。
形→意味の方向に説くと、言葉が無視されるため、勝手な解釈に陥る。意味→形の方向に発想を変える必要がある。意味は言葉の意味だから、意味の把握(理解)が先にあるので、形の恣意的な解釈に歯止めをかける。

陰は古典でどのように使われているかを調べてみよう。
①原文:觀其陰陽 觀其流泉
 訓読:其の陰陽を観 其の流泉を観る
 翻訳:山の南北をよく調べ 流れる泉を観察する――『詩経』大雅・公劉
②原文:習習谷風 以陰以雨
 訓読:習習たる谷風 以て陰(くも)り以て雨ふる
 翻訳:吹きつのる谷の風 空はくもり雨となる――『詩経』邶風・谷風

①では山の北側(の斜面)の意味、②ではくもる意味に使われている。両者に共通するのは「日がかげる」という意味で、この意味の根底には「かぶせてふさぐ」「閉じ込める」というイメージがある。
「山の北側」「日の当たらない所(物かげ)」の意味、また「雲に覆われて光が差さない(くもる)」の意味をもつ古典漢語が・iəmである。この聴覚記号を表記する視覚記号として考案されたのが陰である。これは「侌(音・イメージ記号)+阜(限定符号)」と解析する。侌は「今(音・イメージ記号)+云(イメージ補助記号)」と分析できる。今がコアイメージの源泉となる基幹記号である。
今は一で示される物の上に亼の形をかぶせる図形である。何かの実体を表す記号ではなく、ある事態・状態を象徴的に表出する記号である。それは「下の物や中の物を覆いかぶせて閉じ込める」というイメージである(後に「今」で詳述)。侌は「今(音・イメージ記号)+云(雲状のもの。イメージ補助記号)」を合わせて、雲がかぶさって下界を覆う情景を設定した図形。これはかなり具体的な情景だが、侌も「かぶせてふさぐ」という抽象的なイメージを示すための記号である。かくて「侌(音・イメージ記号)+阜(限定符号)」を合わせて、山の峰がかぶさって日光が当たらずかげになる所を暗示させる。この図形的意匠によって、山の北側、日の当たらない所(かげ)の意味をもつ・iəmの表記とした。