「隠」
正字(旧字体)は「隱」である。

白川静『常用字解』
「形声。音符は㥯。隱は、神に祈るときに使う呪具の工を両手で持ち、阜(阝。神が天に陟り降りするときに使う神の梯)の前でひそかに祈ることであるから、‘かくす、かくれる’の意味となる。今の常用漢字は大事な工を省略しているので、‘かくす’ことができない。隱はもと神を‘かくす’ことであるが、それから人に知られないようにひそかに行うことをいう」

[考察]
形から意味を引き出すのが白川漢字学説の方法である。数々の疑問が浮かぶ。
(1)「神に祈るときに使う呪具の工を両手に持つ」は㥯の意味だろうか。しかし「心」がどう関わるのかはっきりしない。
(2)阜が「神が天に陟り降りするときに使う神の梯」だというが、こんなものが実在するだろうか。
(3)呪具を持って神梯の前で祈る姿が隱だとすれば、これは象形ではなかろうか。少なくとも会意としないと白川漢字学説に合わないように思われる。
(4)「神梯の前でひそかに祈る」とあるが、なぜ「ひそか」なのか分からない。
(5)「神梯の前でひそかに祈る」ことから、なぜ「かくす、かくれる」の意味が出るのか分からない。
(6)「神梯の前でひそかに祈る」ことが「かくす」の意味になると言いながら、後で隱は「神をかくす」の意味だと言っている。なぜ隱が「神をかくす」の意味になるのか。また「神をかくす」とはどういうことか。

形から意味を求める方法自体に大きな疑問がある。意味とはいったい何なのか。白川漢字学説では意味は形にあるというが、意味が言葉の意味であることは言語学の常識である。白川漢字学説に言葉という視点はない。もともと言葉が抜け落ちているので、意味が何なのか分からなくなっている。隱の意味を「神をかくす」とするのは図形の解釈に過ぎない。白川漢字学説は図形的解釈と意味を混同している。
意味は言葉にあり、言葉の具体的文脈における使い方である。古典で隱は次のように使われている。
 原文:耿耿不寐 如有隱憂
 訓読:耿耿として寐(い)ねられず 隠憂有るが如し
 翻訳:心乱れて眠られぬ 深い憂いがひそむよう――『詩経』邶風・柏舟

物のかげにかくれて見えない(表に現れない)という意味で使われている。日本語の「かくれる」にほぼ当たる。この意味を持つ古典漢語が・iənである。この聴覚記号を視覚記号に換えて隱という図形が考案された。なぜこの図形が生まれたか。ここから字源の話になる。
隱を分析すると「阝+㥯」、さらに㥯を分析すると「[爪+工+⺕]+心」になる。[爪+工+⺕]を縦に組み合わせた字は『説文解字』にある字で、隱と同じ(同音同義)とされている。この字がすでに「かくす、かくれる」を表していた。工はある物を示す符号で(展にも含まれている)、「爪(下向きの手)+工+⺕(上向きの手)」を合わせて、両手の間に物を入れて隠す情景を設定した図形になっている。これなら簡単な図形だが、文字は次第に複雑化する。[爪+工+⺕]に心を添えた㥯が生まれる。これは心の中に思いを隠す状況を作り出した。さらに字体が阜(限定符号)添えて隱となった。隱は「㥯イン(音・イメージ記号)+阜(限定符号)」と解析する。この図形は山に隔てられて隠れる情景を設定している。このように「かくす、かくれる」を意味する・iənの表記として最初は[爪+工+⺕]が考案されたにもかかわらず、意味表象が不十分と考えられたか、具体的な場面設定が行われ、心理の場面、風景の場面と次々に換えていった。かくて[爪+工+⺕]→㥯→隱というぐあいに字体が変わったのである。