「運」

白川静『常用字解』
「形声。音符は軍。軍の古い字形は、車の上に旗がなびく形である。将軍の乗る兵車の旗の動きによって軍の行動は指揮された。全軍はその旗の動きによって兵車を運(めぐ)らし、移動させるのである。‘めぐらす、めぐる、うごかす、はこぶ’の意味に用いる」

[考察]
字の形から意味を導くのが白川漢字学説の特徴である。軍は車の上に旗がなびく形だという。 これは一般の車ではなく、将軍の車らしい。将軍が旗の動きで戦車を指揮するので、戦車をめぐらす→めぐらすの意味、戦車を移動させる→うごかすという意味が出たという。
簡単に言えば、将軍の車から「めぐらす」や「うごかす」の意味が出たということであろう。そうすると「軍」という漢字自体がその意味を持ちそうである。白川は辵については何も言っていない。しかし常識的に考えれば、「軍」と「辵」を組み合わせた運が「めぐらす」「うごかす」という意味であろう。そうすると運は「軍」と「辵」の組み合わせということになり、形声ではなく会意に規定されるはずである。そうしないと白川漢字学説に合わなくなる。

形から意味を引き出す手法に問題がある。いったい形に意味があるだろうか。意味というのは何だろうか。意味とは言葉の意味であって、それ以外にありそうにない。言葉(記号素)は音声要素(能記、意味するもの)と所記(概念・イメージ、意味されるもの)とが結合した聴覚記号というのが定義である。意味は言葉に属するものである。聴覚記号を表記する視覚記号が文字である。文字の形に意味があるのではなく、意味は言葉に内在するものである。
では意味は何によって分かるのか。言葉の文脈における使い方によって知ることができる。運は古典で次の用例がある。
 原文:天下可運於掌。
 訓読:天下は掌に運(めぐ)らすべし。
 翻訳:天下を治めることは手のひらの上で物を転がすように簡単だ――『孟子』梁恵王上

運はぐるぐる回る・回す(めぐる、めぐらす)という意味で使われている。この意味をもつ古典漢語をɦiuənという。これは聴覚記号である。聴覚記号を視覚記号に変換する。変換されたものが文字である。漢字は意味のレベルで視覚記号に変換する体系である。意味のレベルとは記号素の概念やイメージの部分である。しかし意味を完璧に図形として表すのは難しい。一対一に対応させることのできる具体的な物の一部だけが比較的十全に図形化できるが、それ以外はたいてい近似的にしか図形に表象できない。だから図形の解釈と意味が一致するとは限らないのである。形から意味を引き出す誤りはここにもある。
さて「ぐるぐる回る」を意味する語を図形化するために考案されたのが運の図形である。ここから字源の話になるが、字源はあくまで語源を前提にする。「ぐるぐる回る」という語の深層構造、すなわちコアイメージを捉える必要がある。それは「〇の形」や「〇の形に回る」というイメージである。このコアイメージを表すために工夫された記号が軍である。軍は「勹(冖は変形)+車」を合わせた図形である。勹は↺の逆の形に取り巻くことを示す符号である。したがって軍は車の周囲を壁や塀などでまるくめぐらす情景を暗示させている(414「軍」を見よ)。これは取りも直さず陣地を作る情景である。この図形的意匠によって、陣地や兵士の集団の意味をもつ語の表記とされるが、その語の根底にあるイメージは「まるく取り巻く」というイメージである。「まるく取り巻く」は「〇の形」のイメージ、「〇の形に回る」のイメージにつながる。
以上の検討によって、なぜ「ぐるぐる回る・回す」を意味する古典漢語ɦiuənの表記として運が考案されたかがはっきりする。「〇の形」「〇の形に回る」というコアイメージを表しうる軍を利用して、かくて「軍(音・イメージ記号)+辵(限定符号)」を合わせた運が成立した。

「うごく」の意味は「まわる」の意味から展開する。〇は固定した円形だが、動きを与えると↺の形にぐるりと回るというイメージに転化するが、一つの〇を次々に連鎖させて動きを与えることもできる。〇〇〇・・・という形は「点々と転がるようにして動く」というイメージに展開する。かくて「まわる」という意味から「まるい物が点々と転がるようにして移る」→「物事がスムーズに動く」という意味に展開する。これが運動・運転などの運である。「はこぶ」という意味はここから更に転じたものである。