「雲」

白川静『常用字解』
「形声。音符は云。云は雲の流れる下に、竜の捲いている尾が少し現れている形で、‘くも’ を言う。云が雲のもとの字である。のちに雨を加えて雲の字となり、云は‘云う’ のように別の意味に使われるようになった」

[考察]
 云が雲の原字というのはほぼ定説になっているが、「雲の流れる下に、竜の捲いている尾が少し現れている形」というのは奇妙である。なぜ竜なのか。『易経』に「雲は竜に従ひ、風は虎に従ふ」という文句があり、古代神話で竜が雲に乗ると考えられたからであろうか。しかし云の図形に竜の尾の形が入っていると見るのは奇抜すぎる。云は雲脚が垂れている図形と見て何ら不思議ではない。

云が「云う」の意味になったというが、なぜ「くも」から「いう」に展開したのかの説明がない。これを説明することは漢字の本質に関わることである。白川漢字学説には形声文字の説明原理がないため、形声文字の解釈ができないし、意味の展開の筋道を説明することもできない。これを説明する原理がコアイメージの概念である。
コアイメージとは語の深層構造にあるイメージのことである。意味とは違う。意味は文脈に現れる語の使い方であるが、コアイメージは深層構造から表層へ意味表象を与える原動力となるものである。語の核(根源)をなすものである。このコアイメージが表層に現れて初めて意味として実現される。

雲のコアイメージは何か。 『釈名』に「雲は云云(物が多くて盛んなさま)たるがごとし。衆盛の意なり。又、運(めぐり行く)を言ふなり」とあり、気のようなもの(ガス、蒸気、くも・もや・けむりなど)がもやもやと盛んに立ちこめている状態という解釈をしている。古人の言語意識では雲は云云として運行するものという語感があったと思われる。ガス状のものがもやもやと漂うというイメージを云という図形に表現したわけである。このイメージから空中に漂う雲気、すなわち「くも」という実体の意味が実現される。また他方では人間が口から気のようなもの(声や言葉)がむにゃむにゃと発せられる。はっきりした言葉ではないが、何かの言葉らしきものをむにゃむにゃと吐き出す。この事態を云云という。かくて口から気のようなものが漂い出てくること(つまり、しゃべること)を云という。
以上、「気のような何かが漂う」というコアイメージから、空中に漂う気象である「くも」という実体を表す語と、人間の口から気のような何かが漂い出る、つまり「しゃべる」という言語行為を表す語が派生したのである。前者には「云(音・イメージ記号)+雨(限定符号)」を合わせた雲が生まれ、後者には云がそのまま用いられる。