「泳」

白川静『常用字解』
「形声。音符は永。永は水が合流して速く流れるところで、水の流れの長いことをいう。その水流に乗るようにして水を渡ることを泳といい、‘およぐ’ の意味となる」

[考察]
形から意味を解釈し、図形的解釈そのものを意味とするのが白川漢字学説の方法である。Aという文字とBという文字を合わせて、Aの意味とBの意味を兼ね合わせたものをCの意味とする。これは会意の手法である。白川漢字学説はすべての漢字を会意的に説くのが特徴である。だから形声の説明原理はない。本項も形声ではなく会意と規定するのが白川漢字学説であるはず。
永は水が合流して速く流れる場所で、速い水流に乗るようにして川を渡るのが泳で、そこから「およぐ」の意味が出たという。二つの疑問がある。永は水の流れの速い所と言いながら、水の流れの長い意味だという。これが解せない。「速い」から「長い」への転義は考えにくい。また速い水流に乗って水を渡ることが「およぐ」ことになるだろうか。浅い所は徒歩でも渡れるし、深い所はいかだや舟で渡れる。必ずしも「およぐ」とは結びつかない。
形から意味を引き出そうとするから、こんな無理な解釈に陥ってしまう。

意味はどこにあるのか。形に意味があるとするからおかしなことになる。意味が言葉にあることは言語学の常識であり、これを外すと科学的ではなくなる。発想を変えて、意味から形を見るべきである。意味とは具体的文脈に現れる言葉の使い方である。言葉は聴覚的な記号で、これを視覚的な記号に換えるとき、文字が出現する。文字は言葉を表記する手段であって、文字が言葉から独立して存在するわけではない。

さて泳はどんな文脈で使われているか。これを調べれば意味が分かる。
 原文:漢之廣矣 不可泳思
 訓読:漢の広き 泳ぐべからず(矣・思はリズム調節詞で、訓読しない)
 翻訳:漢水は広いよ 泳いで渡れぬ――『詩経』周南・漢広

泳は「およぐ」の意味である。古典漢語では「およぐ」に二語があり、水上を浮かんでおよぐことを游といい、水中を潜っておよぐことをɦiuăŋ(泳)といったとされる。この区別は『詩経』の解釈学者の立てた説だが、区別は厳密ではなく、泳は両方を兼ねることが多い。
「およぐ」を意味する語の視覚的表記が泳である。「永(音・イメージ記号)+水(限定符号)」と解析する。なぜ永が用いられたのか。それは同源意識によるものであり、 ɦiuăŋという語の分化・派生であると考えてよい。つまり「およぐ」という行為に「いつまでも長く続く」というイメージを見るからである。水上や水中を手足の運動によって移動する行為が、水に溺れることなく、いつまでも長く浮かんで(潜って)いられるという視座で捉えられ、「いつまでも長く続く」の意味の永との同源意識から、「およぐ」行為を永と同音でɦiuăŋと呼び、視覚記号化して泳が考案されたのである。